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リハビリ記録その156

2015-11-1
山内正敏

 マイナス10度なのに雨という、北極圏とは思えない天気で(この種の天気はもっと南で起こるのが普通)、アスファルト表面が硬いガラスのような凍結路面となって、歩行訓練どころか買い物にすら出掛けられない異常事態となっています。一週間前まで日本で29度の快晴下を毎日5キロ以上歩いていなかったら、欲求不満が溜まっていたかもしれません。

 2年ぶりの日本行きでは、いつものように、身障者対策で気になる所が見つかり、同時に新しい「回復の実感」がありました。それは発病12年の前回は初めての新幹線移動と京都の寺めぐり(+太宰府+熱田神社」で、発病14年の今回は城めぐりと各種交通機関のがらみでした(長いので、クライマックスだけを読む場合は前半省略をお薦めします)。
 まず、今まで(空港に泊まれる名古屋を除いて)空港から送り迎えが必ずあったのが、今回は介護と2人でバス/鉄道を使っての移動を経験しています。欧州内の旅行と違って荷物が大きくなるので、博多駅ー空港間でやってみるまでは、介護1人で大丈夫かと少し不安だったのですが、問題ありませんでした。ちなみにタクシーにしないのは歩行器が入らないことがあるからです。スウェーデンではタクシー=身障者/乳母車の足という面が強いため、タクシーはワゴン型ばかりで歩行器+沢山の荷物をのせても問題ありませんが、日本はセダン型しかないので、場合によって中型車でも歩行器がトランクに入らないことがあります。公共交通機関のほうが楽なこともあるのです。車の会社には、そのあたりを考えてトランクのサイズを決めて欲しいし、タクシー会社もワゴン型の車をもっと導入して欲しいのですが、2020年のパラリンピックまでにそのような動きが起こるかどうか興味あります。

 さて、リハビリという意味でのクライマックスは宮崎から飫肥城(日南市)までの 日帰り旅行 でした(宮崎駅に帰りついたのは、歩道暴走事件の10日前のほぼ同じ時刻で、そこから暴走経路を逆向きに歩いていた)。
 城の正面には階段が3ヶ所ありましたが(帰りは裏手の飫肥小学校側から坂道を下った)、写真にあるように、階段の幅の広いところは歩行器のままで、狭い所は祭り(この日は祭りで人が多かった)の参加者の肩を借りて、難なく登っております。飫肥までの日南線(車両1両のワンマン)も入口に一段の段差はあるものの、手すりがしっかりしていて、何の問題もありません。
 ところが、これらの階段なんかとは比べ物にならないほど危険な車両が、南宮崎で乗り換えた日豊本線で待ち受けいました。上記写真55s/57sの最新型近郊車両です。福岡辺りの近郊線と同じく出入り口に段差がなく、しかも、出入り口付近に車椅子すら置ける十分な広さを確保し、そこに折りたたみ式の椅子まで備えているのは感心したのですが、残念ながら、出入り口に手すりが一切なかったのです。
 一体、宮崎あたりのプラットホームは、昔型の「車内で一段登る」のに適した高さに調整していますから、車内に段差がないということは、車両とプラットホームの間に段差ができることを意味しています。そんな段差で介護が歩行器を昇降させる間、私は完全に自力で(車両の壁に手を当てるぐらいはしても)立ち続けなければなりません。幸い、介護の他にも同乗者がいて。同乗者が歩行器を移動させる間(だから写真がない)、私は介護の肩を借りてバランスをとりましたが、そうでなかったらどうなったことやら。
 これは、身障者だけの問題ではありません。車両とプラットホームの段差と隙間のため、老人や子供にすら昇降が危険で、出入り口に手すりは必須です。痛恨のデザインミスと言えるでしょう。デザインミスが起こるということは、弱者対策の車両規格が存在していないことを意味します。パラリンピックを5年後に控えて、規格すら出来ていないのは厚生労働省や国土交通省の怠慢だと思うの私だけだけなのでしょうか? ともあれ、この手の「最新車両」は早急に直してもらいたいものです。
 とはいえ、それでも2日後には佐土原から南宮崎までJRを使いました。最新車両は面倒だろうなとは思いつつも、どちらも有人駅なので、問題があれば駅員が手伝ってくれるはずだし、それを通してJRに問題が伝わると思ったからです。残念ながら旧式の「1段ステップ+沢山の手すり」タイプで、介護と2人だけで済ませてしまいましたが。
 もっとも、佐土原駅では別の問題がありました。それは歩道橋を歩いて昇降しないとプラットホームにたどり着かないということで、しかもその手すりが旧式の太い木製で、不完全だったことです。もっとも、これも個人的には、そういうのを挑戦したいと思っていた矢先であり、3年前ドイツ出張で類似の経験をして多少の自信はあったので、リスク覚悟で鉄道を使ったという面はあります。結果的には、介護の肩を借りて5分以内で昇降し、今ひとつ自信がつきました。

 帰りの便は名古屋からだったので、宮崎からは名古屋直行チケットを買っていたもの(格安なのでキャンセルしても3割しか戻らない)、仕事の都合で羽田経由(羽田滞在4時間)に変更し、その待ち時間を使って空港で会合を持ちました。空港(あるいは空港から3キロ以内)での会合はスウェーデンではよくやることです。特に首都での会合の場合、地方から集まって来る人は飛行機を使うことが多く、移動時間の平等と時間の最適利用を考えるなら、空港ほど会合に適した場所はありません。欧米では空港内のアナウンスがほとんどないので、メインフロアのオープンカフェですら十分に小声の相談ができ、レストランによってはパソコン用の電源ソケットを提供しているところすらあります。昼食のピーク時にそれをやると座席占有として問題でしょうが、それを外れた時間なら問題はありません。それは日本でも同じです。
 特に私の場合、移動の途中に会合を挟めば、大きな荷物は目的地まで航空会社が預かっているので、身軽に動ける利点があり、疲労は遥かに少なくて済みます。だから、今までは福岡+1ヶ所+出発地が限界でしたが、そこに羽田や中部を入れることが可能となります。日本の空港はこの点はまだまだという気がしますが、それでも、少しずつ良い方向に進んでいると感じました。願わくば、東北新幹線から羽田までがもっと便利になって欲しいといったところでしょうか。
 名古屋では名大に寄ったのですが、学内地図に等高線が書いていなかった為に、急坂を何度も降りる(登るのは問題ない)羽目となって、大学中心(地下鉄駅)から目的の研究所(宇宙地球環境研究所)に行くのに1時間もかかってしまいました。せっかく環境の良いキャンパスなのにもったいなく、地図には坂の有無や、できれば等高線を加えて欲しいものです。これは名大だけの問題ではないと思います。とはいえ、名大のとんでもない急坂を降りることができた、というのは良い経験でしょう。坂なんか怖くない、といったところでしょうか。一方、名古屋の市バスは身障者対応は良く出来ていて、この点は感心しました。

 と、ここまでは、過去の日本行きと同じレベルのリハビリ報告ですが、最後の最後に、極めて深刻な問題が起こり、それを乗切ることで、回復のバロメーターの一つを図らずも測ることが出来ました。
 それは最後の名古屋ーストックホルムで「書類不備による搭乗手続き拒否」を受けたことです。過去の経験によると、日本行きの少なくとも10回に1回は飛行機のキャンセル等のトラブルに見舞われていますが、今回のはその中でも最悪です。というのも、天候やキャンセルと異なり、待てば解決する話ではないからです。

 なんでも、私のパスポートに貼付けている永住ビザ(パスポート更新期限の2019年まで有効)が、私の全く知らない間に、5ヶ月前に「シェンゲンでの永住権を示す公的文書」でなくなってしまったらしい(居住許可カードというのに切り替わった)からです。
 シェンゲン側(EUとほとんど一緒だが英国が外れ、スイスやノルウェーが加わっている)がスウェーデンのビザの簡易さに文句を言って、今までの永住ビザの方式を代えさせたらしい(要確認)のですが、移民局も在スウェーデン日本大使館も、過去のEU入国審査官も、はてはストックホルム空港でチェックインした際も教えてくれていません。他の日本人に聞いても同様の警告は公的機関から受けていないようです。その為か、大抵の路線(例えばスウェーデンの出資しているスカンジナビア航空や、それが属するスター・アライアンス)で目こぼしされていたのですが、フィンランドの通関では、難民問題が深刻になった1ヶ月ほど前からは、通さなくなったそうです(今のところフィンランドだけらしい)。その結果、フィンランド航空は、たとい日本のパスポート保持者であっても、以前のタイプのビザ書類を持った人の(ヘルシンキ経由)スウェーデン便へのチェックインを問答無用に断るようになったとの説明でした。それならストックホルムを出る時に言って欲しかったし、実際、航空会社はパスポートなど必要書類をチェックする義務があるし、あとから調べた所では、居住許可カードを持たずにシェンゲンの外に出てはいけないと移民局ホームページに書いてあります。
 理由はともかく、チェックインでは、ほとんど何のアシスト(空港のどこで今後の相談をすべきかといいアドバイスすら)受けられずに放り出され、挙げ句は「チェックインを拒否したという事実を記述する書類」を出すことすら「権限がない」との理由で拒否されております(これははさすがに無責任すぎる)。
 一体誰のが悪いのか、という責任問題(これが全面的に私の自己責任のみだと言われては、到底納得できない)はスウェーデンに無事帰国したあとに議論すべきことで、先ずはフィンランド航空がチェックインさせない(+何の手助けもしてくれない)という事実を受けとめて、次善の策として、自力で出来るだけ早く安い便でスウェーデンに帰るしかありません(ホテル代が馬鹿にならないだけでなく、長引くほど疲れが残る)。
 真っ先に電話したのが日本のスウェーデン大使館で(その際にもフィンランド空港は電話も貸してくれず大きなカバンから携帯を捜す羽目になった)、件の居住許可カード発行に必要な時間を聞くと、1ヶ月かかるとのことで(スウェーデンの移民局で以前ビザを取得・更新した時は、いつもその場で交付された)、フィンランド航空のチケットを変更して帰るオプションは却下。さらに大使館職員には、ほぼ確実に帰れるコースとして、シェンゲン入国審査をスウェーデンで受けるべく、シェンゲンの外から一気にストックホルムに飛ぶ旅程を薦められました。スウェーデンは日本直行便がないので、北京、ロンドン、イスタンブール、ドバイ、モスクワのいずれか経由となりますが、体調維持+身障者対策の不安を考えると、飛行時間の長いドバイやイスタンブールは却下で、理想は北京かモスクワ経由です。あと飛行時間が長くとも値段が安そうなのがロンドン経由。
 取りあえず、空港内の全日空/日航のカウンターでロンドン経由ストックホルム行きの片道切符を調べると、1人50万円以上(2人で100万円以上)で話になりません。そこで、腰を据えて対策を練るべく、空港内の座れる場所を確保して、この手の情報に詳しそうな親戚に連絡をとると同時に、自分でも持って来たipad mini(今回初めて持って来たけど、これは本当に幸運で、あと中部空港のWiFiには感謝したい)で検索したところ、他でもない一番理想的なルートの北京経由が一番安く、1人15万円のチケットが翌日に見つかりました(ちなみにAir Chinaの名古屋オフィスに電話した所、1人25万円だった)。
 今回の往復航空券+国内航空券+ホテルが1人20万円強ですから、それに比べると高いものの、始めから1人往復30万(ホテル込み35万円)だったと思えば、日本帰国の費用としては許容範囲で、24年前の不幸の時の90万円や、30年前のアラスカ留学の際の片道17万円に比べれば安いものです。
 購入前に、Air Chinaのカウンターに行って、必要書類に居住許可カードが入っていないことを確認して、ipad miniから支払うことにしたのですが、今度はAir Chinaのページが私のクレジットカードを受け付けません。どうやらWiFi経由ではなく、線で繋がっている(IPアドレスのある)パソコンで無いと駄目らしく、上述の親戚に立て替えてもらって、なんとか無事にチケットを購入しました。
 ちなみにipad miniだと私の指では入力に時間がかかます。更に支払いトラブルで時間がかかり、空港内で3時間ほど同じ場所で作業をする羽目になりましたが、空港警察が不信に思ったのか(歩行器が横にある段階で察して欲しいけど、日本のはないので分からないかも知れない)、パスポートの提示を「規則だから」と介護と私に求められてしまいました。しかもパスポート情報まで写しましたが(介護は非常に不満そうにしていた)、そのくせ具体的な援助をしてくれません(ただ警官自体は腰が低くて人が良く、それでトラブルにはならなかったけど)。このあたり、警察には、不審者かもしれない人を捜すだけでなく、不審者に見える=実は困っている人(私のように直前に帰国できなかった人など)という発想や、ヘルプデスクを教えるとかのサービスも「治安維持」に貢献するという発想も持ってもらいたいものです。そういう発想があれば、声を掛けるときは「何か困っておられませんか?」という言葉から入って、誰も不快にならず、中部空港の評判を押し上げてくれると思うのですが、もったいない限りです。
 次にすべきことは宿の確保です。朝方チェックアウトした東横イン(2部屋で1万3千円)は満室だったものの、隣のホテル(2部屋で2万2千円)は空いており、飛行機が9時発であることを考えて、名古屋市内の安いホテルでなく、こちらを確保しました。ストックホルム空港だと一部屋で2〜3万円するので、これでも十分に安いのです。空港の直ぐ横にマトモな値段のホテルのは中部空港の強さの一つでしょう。
 さて、ストックホルムまでたどり着くという最大の問題をクリアしても、まだスウェーデン国内が残っています。というのも、到着予定の土曜日だけ(週にこの日だけ)、夕方のキルナ便がないからです。なので、本来ならストックホルムで更に一泊(一泊2万円する)して日曜昼前の飛行機にするか、夜行寝台に乗るか(これもほぼ同時刻着)で、いずれにしても1日半遅れとなります。いっそのこと月曜の安い飛行機(同じAir Chinaで片道10万円以下だった)で帰るほうがマシというものです。でも介護の都合があります。特に今回は、キルナに戻った週の金曜日には、今度は彼氏と一緒にオーストラリア/東南アジア3ヶ月の旅に出掛ける予定だそうで、彼女にしてみれば半日でも早く帰りたく、月曜のオプションはありえません。それどころか、なんと「彼氏がルーリオ(キルナの南350kmの県庁所在地)まで車で迎えに来てくれるかも知れない」との提案までしてきました。時差の関係で確定まで数時間を要しましたが、最終的にそれで決まり、更にストックホルムでの接続の良さも加わって、他の曜日のキルナ便を使った場合(23時半帰宅)と30分余りほどしか帰宅時刻が変わりませんでした。
 予約が完了したら、今度は古い予約のキャンセルです。キルナについてからアパートに戻るまでの身障者タクシーと、アパートで夜23時に私を待つ予定だった介護で、スウェーデン時間の朝を待ってキャンセルしましたが、はじめ(借り物の)携帯で海外に電話をかけるやりかたが分からず、結局公衆電話を使う羽目になりました。そういう訳でテレカ式の公衆電話が残っていたことに感謝です。
 最後にすべきことは、私のような被害者が出ることを予防することです。そこで、問題の起こった金曜日にストックホルムの日本大使館(領事部)に電話して、スウェーデン在住の日本人が同じ被害を受けないように知らせるように告げたのですが、反応がよくありません。まず「知らせているはずだ」みたいな感触があり(でも、そういう知らせを受けた知人は1人もいない)、スウェーデンに戻ってからホームページを確認したところ、トップページにも、領事関係の重要ニュースにも、最新ニュースにも一切記事がなく、わずかに領事情報の最後の「その他」に、2011年(滞在許可カードを交付し始めた時期)の記事として「スウェーデン滞在許可証カードについて」という見逃しやすい見出しがあるだけ、1週間以上経っても更新されていません。
 とはいえ、大使館には個人的な伝手もありますので、そちらに、今回の事例の簡単な報告と、ホームページの改善、2011年5月以前にストックホルム大使館でパスポートを更新した日本人(現実には2011年5月以降に更新した人でも滞在許可カードを申請し忘れているうっかりさんがいる)への連絡、更に今回のような重要情報だけを送るための在留者メールリストの作製をお願いしたところ、その日のうちに電話がありました。
 大使館としては何度も移民局に「滞在許可カードの必要」の周知をお願いはしているそうですが、なかなか上手くいかないそうで、更に、大使館側の最大のネックとして、予算削減で郵送による在留邦人への連絡サービス(在外投票が始まって暫くが郵送で案内が着ていた)が終了したことで、あと、在留者届けにメールがある世代(つい最近スウェーデンに来た組)だけしかメールリストがなく、手の打ち用がないとのことでした。一応次善策として、口コミで情報を広げるという形になっています。
 要するに外務省の方針というのは最大のネックのようです。一方、この種の重要情報をメールで流すサービスについて外務省のメール取り合わせ先(海外登録に関するところ)に質問したのですが、なしのつぶてです。この種の日本本国側の「在外邦人へのサービスの低下」はここ数年甚だしく、たとえば在外投票でも、今までと違って公示の翌日にならないと郵送を開始しなくなり、私の手元に届くのは、投票日の2〜3日前(平日に限ると1日しかない)で、DHLを使っても間に合わない状況となっています。
 最近、平和への貢献がどうのこうのという議論がありますが、その前に、国際平和に貢献している実動部隊である在外邦人が安心して生活できるサービスを提供して欲しいものです。今回はたまたま休暇で余裕があり、しかも運良く週末に戻って来れましたが、これが衛星プロジェクトの最終段階では、このようなロスタイムは数百億円規模のプロジェクトに影響を及ぼしかね得ないのですから(1998年の火星探査機「のぞみ」最終試験の際には緊急にスウェーデンに飛んで不具合を直して2日後に日本の飛ぶようなことすらあった)。
 と、一応、あらゆる予想の斜め上の不測の事態になんとか対処できましたが、もちろん、忘れたこともあります。それはチケット購入後にAir Chinaのカウンターに寄った時に、搭乗時に身障者を補助するサービスを申請しそこねたことです。もっとも、このサービスの申請期限は通常で出発3日以内(親切な所でも24時間以内)が原則で、翌朝の飛行機では既に期限を過ぎています。それ故に、機内用の車椅子の準備はありませんでした。でも、今では介護の僅かの補助さえあれば搭乗できるようになっているので、問題はありません。しかも、北京空港では専属の乗り継ぎ担当者+普通の車椅子+特別昇降機(到着も出発もバス輸送だった)を準備してくれて、ストックホルムに至っては、機内用の車椅子も準備してくれました。要するに、直前にチケットを買っても、搭乗とかで困らないということです。もっとも北京空港のバスには閉口しました。というのも、垂直手すりしかなくて、介護の肩1つだけでは、まだ昇降できないからです(これが水平手すりだと問題ない)。それでも、将来的には単独での北京空港乗り継ぎはやってみたいところです。
 まとめると、身障者で身動きが取れず、ipad miniでAirChinaの券の購入が出来なかった(スウェーデン国内線は問題なかった)にもかかわらず、考え得るルートで一番速い旅程(=1日だけの遅れ)で帰り着けたことになります。これは健康だった頃と全く遜色がありません。何よりも、2年前や4年前に同じことが起こっていたら、数日遅れでもっと高い費用がかかっていたはずだし、これが病気後初の帰国(丁度10年前)だったら、それこそ東京に一ヶ月滞在して書類が揃うのを待たざるを得なかったかもしれません(そういう危険性をはらんでいるのが、今回の搭乗拒否騒動ともいえる)。その意味では、今回のトラブルを通して、長距離旅行そのものへの自信が大幅についたのも事実です。
 ちなみに旅程確定後のあと知恵として、介護に先に帰ってもらうというのもアリだと思いました。空港からホテルまで荷物さえ運んでくれる人(それこそポーター)が居れば、一日ぐらいはどうにかなるし、名古屋の知り合いにSOSを出すことだってありえます。ただ、これはリスクが高く、例えば帰りの旅程で介護なしの乗り継ぎが可能かどうか分からないルートは取れません。それでも、教訓として空港のある成田、中部、関西のそれぞれで現地介護サービスを一度でも受けておく必要はあると感じています。
 もう一つの可能性は、ヘルシンキ乗り継ぎをストックホルム行きの代わりにロンドン行きして貰って、ロンドン=>日本の全額返金可能なチケットも買ってロンドンの飛ぶ(もちろんロンドン=>崇徳ホルムも買う)というオプションを提案できたなあとも感じました。これだと、金曜日の深夜にストックホルムに着くので半日遅れです。
 今回の搭乗拒否事件でかかった費用は、ホテルなどを含めて総額35万円で、これに帰国の為のホテル・交通費(40万円強、うち20万円弱は介護旅費として補助される)を加えても60万円弱と、2005年に宮崎だけを訪問した際のホテル・交通費50万円と大差ありません(2005年と2008年の帰国ではキルナ市の介護だったので、介護旅費は一切補助が出なかった)。とはいえ、フィンランド航空にかかった費用に返却を請求しないで済ませるわけには行きませんので、メールは出しています。幾ばくでも金が返って来るなら今後も利用するし、返って来ないなら、今後一切利用しないだけの話です(1ヶ月後、誠意のある答えが戻って来ました=rehabili-157参照)。

 最後に例によって無駄話です。
 介護に日本食のどれが良かったか聞いたら、天ぷらや餃子の定番に加えて、なんと「サラダ」「みかん」「柿」の名前があがってきました。たしかに、数ある料理で3回もお代わりをしたのはサラダだけです。どれもキルナのスーパーで買えるものですが、だからこそ、その美味しさにびっくりしたのだろうと思います。さすが、宮崎は野菜と果物(と畜産)の楽園だと思いました。

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