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リハビリ記録その111

2012-2-5
山内正敏

 昨日今日はこの冬一番の大寒波で、比較的暖かい街中で氷点下30度以下となり、数年ぶりぐらいの見事な光柱がオーロラよりも美しく全天を覆っておりました(同時にオーロラも出ていた)。

 トレーニングの見直し時期ということで、松葉杖のみでの階段昇降(杖を手すりに寄りかからせるけど)で、膝バンドを外す事に挑戦しています。まだ最大4段しか登れませんが、とにかく1段以上できただけで満足です。プールでも、階段5段目(水深35cm)で四つん這いになって腰を上げる訓練( ビデオ の最後の部分)で、腰をあげた状態で両手を突き放して手を叩く事を始めています。これが楽に出来るようになると、四つん這いからの立ち上がりも出来る筈です。ちなみに、同様の立ち上がりが階段4段目(水深50cm)で出来たのが2009年10月(2年半前:発病8年目)ですから、水深を考えると満足出来るペースでの更新になります。

 大きな変化に繋がりそうなのは、他にも親指の第2関節があります。指の関節は、発病直後の関節の柔軟運動の不足で全部固まったのを(手首を守る為にギブス風の手袋で指ごと固定されたのが原因:これは県内の作業療養師の養成短大の担当教師が勉強不足で、県内の短大を出た作業療養師に間違った知識が与えられた為)、退院後に少しずつ柔軟していたのですが、小指第3関節と親指第2関節だけが固まったまま、関節そのものまで変形してしまいました。それでも小指は、毎日の柔軟運動のお陰で、右が退院8ヶ月後(発病1年8ヶ月後)、左が退院1年3ヶ月後( 発病2年3ヶ月後 )に正しく曲がるようになりましたが、親指第2関節は一向に曲がる気配がなく、今に至っています。
 ところが、1年前から加わった介護がかなり力が強く、更に、指の何処を柔軟すれば良いかがミリ単位で分かるようになったお陰で、柔軟運動中に少しずつ痛みを感じるようになり(それは曲がり始めた事を意味する)、今年に入ってからは、音を立てる事が数回ありました。小指が曲がるようになった時の前兆と同じなので、この分だと親指第2関節が11年ぶりに曲がるようになるかも知れません。

 生活の方でも変化があります。それはトイレです。介護のいない時間帯にアパートでトイレ(大)に行く際、今までは
 (1)ベッドで裸になる→車椅子に移動→電動式歩行器を利用して便器に座る
という手続きでした。その代わりに
 (2)ベッドで裸になる→直接便器に移動する
という方法と
 (3)ズボンを履いたまま車椅子から電動式歩行器に移る→電動式歩行器によりかかって便器の前でズボンを脱着する
という方法の両方が出来るようになりました。要するに手順が往復とも1回ずつ少なくなった訳です。(1)が曲がりなりにも出来るようになったのが約6年前で、諦めずにリハビリを続ければ良い事もあるといえましょう。ちなみに(2)については、便器が低く(車椅子より10センチ以上低い)手すりもなかった為に今まで出来なかったもので、便器があと10センチ高ければ2年ぐらい前には出来ていたかも知れません。

 最後に例によって無駄(でない放射能の)話です。
 放射能データが不十分だった3〜4月の内部被曝の危険性について、他のデータから推定した論文(昨年4〜7月に投稿した3本の論文の最後の奴)がようやく受理されました。内容は、
(1)飯館方面だけは他の方面よりも放射性浮遊物が桁違いに多かったらしい。
(2)5月以降は浮遊物が急速に減っている。
(3)3月20日の放射性ダスト雲の動きと、ダスト雲内のヨウ素/セシウム比の分布(何処にダスト雲のコアがあるか等)を純粋にデータから(シミュレーションに頼らずに)推定。
です。
 せっかく事故後4ヶ月以内に速報集(うたい文句は2ヶ月以内出版)に投稿したものの「査読者が見つからない」という理由で3ヶ月半音沙汰なく、その後も非常に遅いプロセスで( リハビリ109 にも書きました)、受理まで半年もかかってしまいました。ともあれ、他の論文とあわせた 日本語解説 を書きましたので、興味のある方はご覧下さい。

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