Encode is "iso-2022-jp" or just "Japanese" (if the text is "moji-bake")

[リハビリ記録その98]     [ホーム]     [概略表]     [リハビリ記録その100]
============================================

リハビリ記録その99

2011-2-6
山内正敏

 数年ぶりの規模の大真珠雲が出た1月が終わり、2ヶ月前とは全然違う明るい季節になりました。どんなに寒くてもどんなに雪が多くても『春遠からじ』という気分になります。

 週末に限って風の寒い日が多いせいで距離を歩く訓練は余り出来ていませんが、その代わりの室内訓練で順調に成果が出ています。
 まず松葉杖ですが、両杖とも持ち上げたまま歩く訓練が12月よりも更に距離が伸び、最長で78歩(12月が44歩、11月が1歩)となりました。最長の距離が伸びただけでなくバランスを崩す事も減って、数日前は約150歩の間に3回杖を使っただけでした。そろそろ、歩数よりも8の字に歩いて何周歩けるか(或いは、5周する間に何度松葉杖を使うか)をカウントした方が良いのかも知れません。同じ類いの補助無し歩行訓練では平行棒の方も更に安定度が高まって、最長で5往復まったく棒に接触せずに歩けるようになっています。いずれも発病9年を過ぎてからの急な進展で、リハビリは何年経っても何が起こるか分からないものです。
 杖を使って距離を歩く訓練も相変わらず病院廊下(往復320m)でやっていて、
 11月21日 6往復60分。
 12月 5日 7往復67分。
 12月12日 8往復78分。
 12月31日 7往復68分。
  1月 6日 8往復76分。
  1月16日 8往復74分。
という具合に、ゆっくりながらも着実に速くなっています。距離系の訓練といえば室内自転車や踏み台昇降も順調に速くなっていて、例えば踏み台昇降だと昨年は400回/30分が普通だったのが今では600回/40分が普通になっています。他にはプールや階段昇降でも順調に進展があります。
 介護の方もスポーツ系の子が戻って来てくれて(秋に軍隊訓練に行っていた)少し楽になりました。更に同じクラブの子(高校3年生)を推薦してくれて、今週末は彼女が来てくれました。恐らく夏の介護をやってくれると思います(といいつつ鉱山会社に行くかもしれませんが)。

 さて、ストックホルム空港の身障者トイレが酷い件 (リハビリ記録86) で昨年の春に各所に投稿しました (リハビリ記録90) が、その時の返事で
『2010年中は無理』
という返事があったので、新年を期に再び7大政党にメールを出しました。返事は今回は2ヶ所(前回は4ヶ所)からあり、そのうちの一つは問題を全く認識しておらずに
『これは空港と直接交渉すべき問題で政治の問題で無い』
という解答でしたが、もう一ヶ所は昨年のメールの直後に実際に空港を視察して、今国会(昨年10月〜)に
『身障者用の施設を置かない事を差別と看做す』
という法案を提出しています。もっとも野党1党だけの提案なので通るかどうかは分かりませんが、少なくとも法案が提出されただけでも前進です。
 福祉先進国のスウェーデンで身障者トイレの問題がなかなか解決しないのは、圧力団体としての身障者組合がないからで、検索しても身障者組合の全国組織はありません。福祉が全般的に進んでいるから、ただでさえ日常生活でハンディキャップのある人間が、わざわざ時間と労力をかけて組織を作ろうという機運にならないのだろうと思います。私だって、福祉の充実のお陰できちんと仕事とリハビリが出来て、それだけで日常が精一杯ですから、これに加えてこの種の活動を(しかもスウェーデン語で!)する余裕はありません。でも、恵まれているからと云って何もしないと物事はどんどん悪い方向に行きます。なので、気分的に余裕のある時に少しずつこの種の問題に取り組むつもりで、取りあえずは、身障者の為の組織をローカルレベルでも良いから捜すつもりです。ちなみに、この手のコンタクトや投書は、気分的に余裕のある時にやらないと、冗長なメッセージになって、相手に伝わらなくなるので、気長に構えるしかありません。

 最後に例によって無駄話です。
 故郷宮崎の新燃岳が噴火しましたが、これは私が生まれる2年前に噴火していて、私が子供の頃(火山を活火山と休火山と死火山に分けるという地球史レベルでは全く無意味な分類が幅を利かせていた時代)、霧島連山が阿蘇や桜島とならんで活火山に分類されていた理由となった山です。なので霧島連山の中では人気が低いにもかかわらず(形や登山感覚のよい高千穂峰、最高峰の韓国岳、硫黄の噴出が間近に見られる硫黄山に遅れをとっていた)、新燃の名前は子供の頃から覚えていました。一方、小学5〜6年の頃には桜島の火山灰や空振が宮崎にも何度もやって来ていて、もともと地球物理的な現象+どろどろの流体に興味があった私は、それだけでも火山学に進む事も考えないではありませんでした。
 実際の進路では、京大の理学部に火山学の講座/講義が無かったという単純な理由で火山が選択肢から消えましたが、もしも新燃岳が今でなくそれこそ私の子供時代に爆発していたら、本当に火山学を専攻していた可能性が相当にあります。ちなみに霧島は確か3度縦走していて、いずれも新燃岳の横を通りましたが、縦走で時間が無かった為に火口(の蒸気の出ている近く)には行った事はありませんでした。

============================================
   []