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リハビリ記録その70

2008-9-7
山内正敏

 雨ばかりで夏らしい日の全く無い8月も終わり、霜と紅葉の季節になってしまいました。この1ヶ月は、リハビリもさることながら、総決算的な事が結構ありました。

 先ず、肘歩行器の返却です。昨年10月18日を最後に全く使っていませんでしたが、冬を過ぎ夏も過ぎた今、とうとう完全にオサラバしました。
 初めて使ったのは5年前(発病1年半)で、その後2年間は完全装備(膝バンド+足首固定器)で使用し(その間のベストは最長3キロを1時間半=4年前)、3年前こそ普通の低い歩行器が外出の中心に取って代わりましが、2年前に膝バンド無し(但し足首固定器付き)での歩行訓練の為に再び使う様になって、それで昨夏散々歩いたのが効いて、今年は普通の低い歩行器でも膝バンド無しで歩くのが当たり前になって、更には、足に何の補助も付けずに歩く訓練すら普通の低い歩行器でするようになったので、今後も使う事が無いと判断して、県病院に返却しました。使わないと分かっても、それが無くなってしまうと、ある種の達成感があります。
 次に普通の歩行器。こちらは3年半前に新品を県から借りた物ですが、冬を前にして初めてタイヤとブレーキを取り替えました。というのも、タイヤのすり減りとブレーキの摩滅で、初夏以来ブレーキが全く効かなくなっていたからです。ブレーキが効かないという事は、下り坂で歩行器を支えるべく(そして歩行器に支えられながら)膝でブレーキをかけていた訳で、夏の練習には良いものの、凍結で足を踏ん張る事の出来ない冬にそれでは危険過ぎるので、とうとう交換したものです。
 僅か3年半でタイヤとブレーキが摩滅するというのは、あまり丈夫でない印象を持ちますが、ブレーキに頼る歩き方をしている事を考慮すると、自転車よりも(距離比で)10倍以上はブレーキを使っている訳だから、おかしくありません。私の8月の歩行距離は120km以上(一日平均4km)になりますが、冬とか考慮して控えめに一日平均2km歩いたとしても、3年で2000kmになります。つまり、実質的な歩行距離は、自転車の2万キロ(日本5周)に相当する筈です。これならタイヤとブレーキが摩滅するのも当然でしょう。
 その歩行器訓練ですが、夏の総決算である、2回目の競争(前回報告した介護とのハンディキャップ競争)も2週間前にやって、400mトラック12周半(5000m)を53分半で歩いております。前回が4800mを53分だったので、その通過タイムでは1分半ほど速くなっており、本来なら前回のリベンジ(前回は20秒差で負けた)となる所ですが、介護が足の痛み(クングスレーデン110km走の後遺症)で早々に棄権した為に競争にはなりませんでした。まあ、こんなものは始めの2周にレース・ペースになれは、そのままタイム・トライアルのモードで歩き切ってしまうので、タイムに影響はありません。ベストの周が4分9秒で、目標の4分(時速6キロ=水泳の世界トップの速さ)まであと少しです。逆に言えば、1500mで水泳の世界トップと競争しても1分の大差で負ける訳で、まだまだ速く歩けなければなりません。
 歩行器でもう一つ変わったのが、膝バンドのみならず足首にも何も付けないで歩く訓練が増えた事で、特に大型スーパーからの片道だけでそれをするようになりました。つまり、研究所からタクシーで帰る時に、自宅でなく大型スーパーに行くというパターンが可能になった訳です。もちろん、今までも足首固定器を持って行ってそれをやる事はありましたが、そういう事を考えずに行けると云うのは気楽さが違います。行動の制約が明らかに減りました。
 その研究所ですが、こちらも夏以来、介護無し時間が更に多くなって、特に午後に行く時などは往復とも介護がつかず、完全に一人という事が多くなりました。今までは、タクシーで一緒に往復しなくても、仕事の真ん中ぐらいの時間にバスで来て貰って、いろいろやってもらう事があったのですが、それも殆ど無くなっています。つまり、基本が介護無しと言う事になった訳で、これは非常に大きなステップです。
 他に、エレベータの無い友人宅でのパーティ参加が出来るようになったのも大きな変化で、先週は、今までなら階段を理由に行かなかった場所での夕食に初めて参加して来ました。登りは2人の肩にすがって、酔っぱらったあとの下りは地べたに座って降りるという安全な方法で、難なくクリアーしています。ちなみに月2回(隔週)の体操療養師とのトレーニングでは、体操療養師の肩と手すりとにそれぞれ掴まって、補助1人だけで階段の登り下り両方ともしております。ただし膝バンド+足首固定器という完全防備なので、実用(膝バンドなし)にはまだ少し時間がかかるとは思います。

 これらの大きな変化は、当然介護の仕事(時間並びに内容)の変化をも意味している訳で、それならばと、介護サービスそのものを変更する事も8月末に決めました。今までキルナ市の介護サービスを受けていたのを、民間の会社に替える事にしたのです。変更と云っても雇用の問題もありますから、実際に新しい民間介護サービスに移るのは12月からになりますが、既に新しい介護の確保とか、新しい雇用条件とか、事務的な事は動き出しています。
 昨年まで全く考えていなかった民間介護に移る事を考え始めたのは、6月のストックホルム休暇で現地介護を捜していた時で、つい3ヶ月前です。ストックホルムの民間介護の事業所を調べると200以上も見つかり、しかも現地介護の問い合わせに対する返事も素早く、介護自体も悪く無かったので、これなら考える価値があると思ったところ、更に全国組織の民間介護サービスの中に、なんとキルナが本部というところを見つけてしまい、そういう所から『キルナでも我が社に移りませんか』と云う声がかかったのが、移る事を考え始めた理由の一つです。
 民間介護がこれだけ多く繁栄しているという事は、身障者が民間介護を選んでいる(試して見ている)という事実の裏返しです。となれば、好奇心を持ち合わせている者としては『試してみるべきだ』と考える訳で、そういう目でキルナの事情を見直してみると、民間介護自体にリスクがあるとは思えません。たとえば、2年半前に私の臨時介護が数人、新しく出来た民間介護に移ったのですが、彼らが再びキルナ市の介護に戻って来たという話を聞きません。つまり、人口の少ないキルナでも民間介護が成立し得る事を意味します。もちろん民間介護には悪い噂もあって、例えば、身障者が民間介護に移ったけど、合わなくてキルナ市に戻ったという話もあるので、リスクが無い訳ではありません。
 つまり功罪両方の情報がある訳で、これはもっと調べなければなりません。結局、全国組織のような大きな所よりも、身障者数が10人前後の小所帯が良いという、考えてみれば当たり前の結論となりました。というのも、所帯が小さいと云う事はマネージャーも少ない訳で、意思決定が素早い事を意味しているからです。そこで、そういう小さな民間介護を一つ選んで話を聞いたところ、印象が悪く無かったので、こんなものは試してみなければ分からない訳だから、キルナ市とも相談して、取りあえず12月から半年だけ試してみて、良ければ継続するし、悪ければキルナ市に戻るという事で話をまとめて、先日契約を済ませました。
 こういう経過なので、一言で云うと、好奇心で移ってみる、という言い方になってしまいますが、もちろん好奇心だけではなく、キルナ市の介護サービスに若干愛想を尽かせたという面もあります。
 一番の問題は、何度も書いているEUの労働時間規定(毎日『連続』11時間の休みを与えないといけない)に対する対処で、11時間では困るから9時間にしてくれと、私と介護の両方が言ったにも関わらず、そして、それが労働協約で可能である事が分かっているにも関わらず、今の今まで例外規定を作っていないと云うのは、さすがに我慢の限度を超しています。この規定に従えば、日本やアメリカのような遠い所への旅行は理論的に不可能で、前回3月が可能だったのは、私の介護が飛行機に乗っている時間を労働時間から外したからです。これにはさすがに私も呆れました。こういう問題は大所帯だから出て来る訳で、現に殆ど全ての民間企業では9時間例外規定を労働協約で結んでいます。更に今度移る民間介護では、出張モード、即ち『1週間以内なら9時間より短い事もある』という、出張の経験のある者なら当たり前の例外条項まで作ってくれていて、旅行に関して何の問題もありません。
 それから、キルナ市では介護の長期ローテーション(数年毎に人を入れ替える事)が無く、これも私には不満でした。ローテーションが無いと云う事は、楽な身障者に『給料の高い』ベテランが留まり、難しい身障者に『給料の低い』若手が当たって、結局その若者が辞めてしまうという、いわば、不公平の淀んだ状態が生まれる事を意味します。特に私の場合は、歩行訓練に付き合うのも嫌がるような高給取りが張り付いてしまうので、余りにも不公平です。他にも、キルナ市というのは年配のベテランを若手に比べて異常に優遇している点が多く、これでは若い人がキルナ市の介護になりたがらない筈だと思ってしまいます。
 そもそもリハビリのモチベーションを維持するにはスタッフも適度に替わった方が良い訳で、そこで1年以上前に、なぜ4〜5年で介護をローテーションしないかキルナ市に尋ねた所、そんなシステムは無いから、とりたてて大きな問題が無ければずっと同じ介護であるとの答えでした。要するに介護の再配置はマネージャーにとって面倒だと言っている訳です。だから、私が介護を『歩かない』事を理由に止めさせられないよう、予防線として『歩行訓練に付き合わなくても良い』という酷い裁定をマネージャーが出したりする訳で、それでも冬の寒い時ならいざ知らず、夏にそう言う事を言い始め(昨年7月)、それでも我慢して『歩くのが大変なら自自転車で着いて来て良い』という所まで妥協したのですが、今年6月に至っては『歩行訓練に全く付き合わなくても良い』とまで(高級取りの介護の要求に合わせて)マネージャーが言い出したので、さすがに腹を立ててマネージャーに文句を言って取り消させましたが、この事件が今回の移動の決定的な動機です。こんな本末転倒な事を平気で言う介護事業所にはこれ以上付き合えません。
 マネージャーの裁定の元々の理由が『ローテーションが面倒臭い』というマネージャー心理にある訳ですから、今回の移動に当たっては、民間介護のマネージャーに『出来れば3年、最長でも4年で介護をローテーションする』という事を要求して認めさせています。実際、既に確保している2人の介護(昔の臨時介護で20歳と26歳)には、これが3年時限の仕事で、延長は1年だけという風に伝えています。その間に、出来れば人生の次のステップの仕事を見つけろというのが私の意味する所で、長い目では、3〜4年時限というのは、こういう若い介護にとって悪い話ではない筈です。
 それから、この3〜4年時限というのは、『総介護時間を毎年減らす』というリハビリ目標を実行する為に不可欠な措置という面もあります。この『毎年減らす』は民間介護のマネージャーに認めさせてはいますが、実際に実行するとなると、それは介護の誰かの時間を減らさないと出来ない訳で、それが最後の一人へのしわ寄せだけで済むのが2回分(=3年)程度だからです。現に、夏休み明け後の今回の日程表は、今の正規介護体制(2年半前)になって2度目の時間減少でしたが、3人目だけでなくこの2人にもしわ寄せ(6月8日のrehabili-67参照:働く回数が増える問題)で、8月になっても紛糾しつづけ、私が愛想を尽かせた程です。こういう既得権がらみの要求ほど面倒なものは無く、それを無くすには、私のように年々介護を不必要とする者の場合、介護に年限を付けるのが一番安全な予防策です。
 年限と介護時間の暫時削減以外に、新しく移る民間介護と相談している項目としては、昇級条件として、長い距離の歩行訓練に付き合うかどうかを入れる事(単なる資格は昇級条件にならない)とか、1時間以上の長い休憩の回数(30分以上の長い休憩は無給なので回数を少なくしなければならない)とか、旅行の際の介護の旅費の分担とかそんなものです。勿論、キルナ市の時に認めさせてある、旅行時の現地介護の積極的活用とその費用の処理については既に合意しています。
 なにはともあれ、12月からは新しい態勢となる訳で、それまでは期待と不安が交ざった3ヶ月を過ごす事になります。ちなみに、現在の介護はこの3ヶ月のうちにキルナ市担当の身障者を見つけなければなりませんが、鉱山好況に沸くキルナでは基本的に介護不足の状態なので、こっちは心配要りません。もっとも、私の所で楽をし過ぎた彼女達が新しい身障者の元で根を上げない保証は全くありませんが、これはローテーション制度を導入しなかったキルナ市の責任で私には関係ありません。

 最後に例によっての無駄話。
 先日の北京五輪は、私がキルナに来てから5度目の夏期オリンピックですが、金が毎回1個程度のスウェーデンが、前回のアテネだけは陸上で3つも金を取り、その3人が若かった所から、今回もその再来かと思ったら、結局1個も取れませんでしたが、実は直前まで前回と同じ顔ぶれが金を取るという下馬評ではあったのです。ところが、実際に参加したのは走り高跳びの1人だけで、その彼は本来より遥かに悪い記録でメダルそのものを逃しています。残り2人のうち、一人は3段跳の圧倒的第一人者で、年齢も20代後半の完璧だったのに、昨夏の大阪世界陸上に続いて今回も肉離れとなって、このまま引退という噂です。
 ここまでは普通の話ですが、最後の1人(7種競技)はちょっと違います。20歳でデビューした2003年の世界陸上でいきなり7000点突破(史上3人目)で優勝して以来、世界選手権/オリンピック負け無しで、昨年の大阪も優勝した程の圧倒的第一人者(しかも現在25歳)であるにも関わらず『暑いオリンピックでは世界記録が狙えない』と云って7種競技をボイコットし、代わりに、暑い夏でも記録の狙える幅跳びと3段跳びに挑戦して、結局入賞すら出来なかったという逸話を今回作ってしまいました。7種競技のオリンピック金メダル(しかも連覇)によほど魅力が無かったのでしょう。もっとも、オリンピックが何故8月でなければならないのか、純粋にスポーツの祭典という意味では私にも理解に苦しむ所で、彼女のようなボイコット組が増えるのは長い目では良い事なのかも知れません。まあ、ともかく日本では絶対に有り得ないような話です。

 最後の最後に連絡。実は私のメールアドレスのスパムフィルターがかなり不安定になって、知り合いからのメールが刎ねられる事が多くなっています。上手く行かない時はご面倒でも郵便でお願いします。
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