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リハビリ記録その36

2005-10-30 (入院から丁度4年:初の日本訪問記録) 
山内正敏

 マイナス15度(昼)の36時間後にプラス6度(夜)となる天気に、地球温暖化(で嵐の規模が大きくなった?)を微かに感じています。

 発病/入院 から48ヶ月目にして、ようやく日本訪問を果たしました。長らく目標にして来た事で、この1年で最大のイベントには違いありません。日本からは半月前に帰って来たものの、疲労が予想通り激しく、先週、先々週はとてもレポートを書く気力がありませんで、今日にずれ込みました。

 今回の日本行きは、一昨年のフィンランド出張(片道8時間、介護2人)と昨年の コロラド出張 (行き26時間+翌日レンタカー4時間、帰り22時間+前日4時間、介護1人+同僚1人)に続くもので、昨年日本行きを断念した(それは好判断でしたが)その雪辱と言う意味もあって、半年前から徐々に準備をすすめて来ました。先ずは、その前調査・アレンジして下さった方々や滞在中に色々手伝って下さった方々にお礼申し上げたいと思います。これらの方々の助けは無ければ今回の帰省は不可能だったかも知れません。そういう意味でも、友人の多い故郷(宮崎)に直行直帰したのは正解でした。
 アレンジして貰った項目は以下の通りです。
(1)宮崎のホテル:宮崎県立病院(一応名前が登録してあるのでいつでも行ける)のすぐ横のビジネスホテルに身障者部屋を確保(介護用のシングルと併せて1万5千円/日)。
(2)大阪のホテル:関西空港から2駅目に身障者部屋のあるホテルを確保(介護用のシングルと併せて1万6千円/日)。
(3)宮崎での現地介護(6日計20時間で2万6千円、初心者でも私には十分だからこそ値段で、しかもこの値段にもかかわらず前日までに介護時間を決めれば良いというフレクシブルさまである)。
(4)宮崎での レンタル歩行器 (月4000円でホテルまで配達)。
(5)宮崎での安い車椅子タクシーの情報(通常のタクシーと同じ値段のタクシーを見つけて貰った)。
(6)大阪(関西空港)でのホテルまでの交通機関(南海電鉄の駅とホテルのシャトルバスの車いす対応度)の確認。
(7)一般的な身体障害者向けサービスが受けられるかどうかのチャック(端的には身障者手帳の発行の問題になるらしい)。
(8)鍼マッサージ師の紹介(宮崎のホテルから50mの所に一軒みつかる)。
(9)スウェーデン最古の合唱団(OD)のチケットのアレンジ(キルナに来る暇が無い程有名な合唱団で、彼らの21年ぶりの来日にこっちの宮崎帰省が上手くかち合った)。
(10)介護の宮崎観光(結局最終日の平日に丸半日車を出して観光案内してくれた人がいて、こっちも便乗した)。
 かように、結果的には(7)を除いて全てしっかりアレンジして貰い、(7)についても、友人数人がバラバラに(バラバラってのが重要だったんですが)宮崎県福祉課に掛け合ってくれたお陰で、宮崎滞在中に神経内科医に診断書を出して貰って申請すれば、出してくれるという所まで進みました(結果的には時間が取れずに無理でしたが)。これらのアレンジの他に、緊急時の医療も考えなければなりませんが、もともと宮崎は同級生や友人に医療関係者が多く、加えて、宮崎県立病院の横に宿が確保出来た事で、これに、こっちで掛ける旅行医療保険(1週間で掛け金1万円)を加えればどうにかなるだろうと判断しました。

 一応、これだけアレンジをしたものの、それでも懸念はあります。それは、昨年のコロラド出張の時に困った
(1)ホテルや空港の施設は行ってみるまで分からない。
(2)搭乗機での荷物紛失や台風などの不測の事態の可能性(台風対策として帰りの宮崎ー関西便はチケットをぎりぎりまで取らなかった)。 という旅行一般の問題の他、特に昨年の米国コロラド行きとを比較して、今回の方が厳しくなった要素が3つあるからです。
(3)旅行時間。一回当たりの飛行時間の一番短い Finnair を使ったが、それでもヘルシンキー関空(10時間)は、昨年のアイスランドーミネソタ(6時間)の倍近い。トータルでも、今回の往路の29時間は、コロラドの時に介護ともどもくたくたになった26時間より更に3時間長く、しかも、朝3時起床4時半タクシーという早起きの元での29時間であって、コロラドの時の朝6時起床タクシー7時半という条件とは比べ物にならない。
(4)法事のため、お寺(階段を介護と親戚とで運ぶ)の座敷を這いずり回らなければならない他、残務処理(4年の空白でかなり溜まっている)や、大量に人に会う用事で身体的に極めてハード。
(5)介護が日本語を全く理解しない(コロラドの時は、介護が英語を普通に話せた)。
 これらの懸念のうち始めの3つが最大の問題ですが、昨年よりも更に回復している脚力とか考えると、(1)や(3)はどうにかなる筈で、更にサポートのアレンジのしっかりしている宮崎なら他の懸念もどうにかなるだろうと思って、出発前の緊張は昨年のコロラド出張ほどではなかったように思います。更に今年は出発2日前に大腸カメラ検査をするというのがあって、緊張の半分はそちらの方に行っていたので、検査結果シロという安堵感と相まって、これも旅行の緊張感を和らげる効果があったとは思います。

 さて、肝心の旅行ですが、今回はコロラド出張と違って危機的問題点とかはなく、トラブルも想定の範囲内・即時対応可能な範囲内で、そのなかで一番の問題は再びトイレでした。帰路はは接続と台風対策の関係から関西空港の近くの外資系ホテル(ラマダ)に泊まったのですが、行きがけ、せっかく乗り継ぎ時間(6時間)にホテルまでの往路(南海電鉄経由)を知り合いと一緒に下見したのに、関西空港の到着ロビーのトイレが車いす対応の個室だったのに安心して、ホテル内のトイレを確認するのを省略したのが祟って、実際に泊まってみたら、身障者対応を謳っている部屋が全然車いす対応でなく、ホテルロビーにあるトイレもそうで、すっかり慌ててしまいました。というのもトイレが狭く、2つある手すりのうちの一つは全然短くて、しかも手すり間の幅が非常に広くて、とても両手で支えて立ち上がるということが不可能だったからです。幸い介護が力持ちだったのと、私の手足が昨年より回復して体を支える技術があがったお陰でなんとが室内のトイレには座る事が出来ましたが、昨年の私では不可能だったに違いありません。またホテルロビーの身障者専用トイレに至っては、手すり間隔は余りにも広くて、今年の私の状態でも不可能でした。
 ではどういう人ならこの手すりが役立つか? それは極端に肥満の人で、一応自力で歩けるけど立ち上がったり座ったりするのに手すりの必要な人です。結局の所、アメリカ系のホテルでは、身障者=肥満アメリカ人という公式が成り立っているとしか考えられません。ちなみに、この仕様の問題は金の問題ではありません。ホテルの経費や、固定手すりを付ける費用に比べて、本当の意味で誰にでも役に立つ『折りたたみ式・高さ調整の可能』手すりは極めて安価で設置出来るからです(私が今まで見た中では、ヘルシンキ空港にあるのが一番簡単で一番有用)。金の問題で無いのですから、単にホテル側が日本の意味における身障者という言葉の意味を知らなかったという事になります。ホテルのずさんさはシャトルバスの件でもあって、予約の時に確認したら「いままで車いすの人を何人も送迎してきた」との事で、実際下見に行った時には、間口の広い車を使っていて私の昇降も曲がりなりにも可能と判断した(でもホテルの人の言うように簡単ではない)のですが、実際に泊まって、翌朝いよいよシャトルで空港に行く段になって、その車が無く、聞くと車検なので廃車にしたとの事で、結局業務用のワゴン車を出して貰って空港に行きました。
 と、ここまでホテルの問題点ばかり書きましたが、本当の問題はホテルより大阪府か泉佐野市にあるのではないかと感じています。というのも、そういうホテルが大阪府か泉佐野市か知らないけど身障者対応と認定されている事で、そうすると、トイレの内容も調べずに、単に外資のホテルが身障者用トイレを設置すると申請したから身障者適用の認定をしたのでは無いかと勘ぐられます。ホテルが身障者仕様の意味を知らなければ、それを指導するのが自治体の責任ですから。そういう訳で、ハードの問題はソフトの問題に帰されると思います。その意を更に強くしたのが関西空港の出発ゲート近くのトイレです。男子用の身障者トイレでしたが、到着ロビーのトイレと違って、固定手すりの位置が若干短い上に極端に低く、今年の私ですら介護に支えられてやっと座った代物で、昨年の私では不可能でした。いくつか異なる種類の身障者トイレを空港内に置くという思想であれば褒めるべきですが、それなら何処かに但し書きなり案内図なりあるべきで、考えられる可能性は、11年前に空港を作った時に、違うセクションごとに違う業者に作らせて、その業者の中には身障者トイレを知らない所があったにも関わらず、関西空港側(というか泉佐野市か大阪府が)きちんと設計確認を取らなかったというあたりでしょうか。結局の所、ずさんに設計管理していたとしか言いようがありません。
 かように最終日に若干の問題がありましたが、全般的な印象は、日本の身障者対策のハード面が非常に進んでいるという事で、特に感心したのがデザインで、身障者用タクシーにせよ、航空機内に移る為の車いすにせよ、あまりにも見事なのですっかり感心してしまいました。泊まったホテル(宮崎)もトイレ並びに風呂の設計が見事で(それでも電話の位置がおかしくて、ここも私のような中途半端な身障者は殆ど泊まった事がないのでは無いかと思われましたが)、宮崎の観光地に至っては、 青島 に車いす完全対応の公衆トイレがあり、 鵜戸神宮 に至っては車いすの為にわざわざ石段をスロープに作り替えて、一番奥の 洞窟(神殿)手前 まで車いすで行けて、予想だにしなかった 景色 にすっかり満足してしまいました。一方、トイレでケチの付いた大阪も捨てたものではなく、例えば南海電鉄の身障者へのケアはハードもソフトもしっかりして多いに感心しました。それが余りにも良かったからこそホテルの下見が中途半端になったのかも知れません。あと帰りに大阪の知人が買ってくれた 握り方矯正用の箸 は、私の手のリハビリに最高の代物で、さすが、大阪には何でもあると感心した次第です。余りにも素晴らしいので、1本と言わず数本(研究所とかカバンとかにも入れて、ランチとかでも使いたい)欲しくなっているところです。
 
 さて、今回の日本行きの主要目的は法事で、そのついでに雑務を済ませ、病気・リハビリ関係で日本で出来る事を挑戦して、最後にお世話になった人に会うというのがあります。それを宮崎滞在6泊(実質5日)でやろうと言う訳ですから、どうみても欲張りな日程になります。但し、私のこの病気がそもそも過労に端を発しているという事実がありますから、過労にだけなならないよう、いくつかの点だけは押さえました。
*出発前に会う予定を入れた人以外(飛び入り)には会わない/ホテルの場所も教えない。
*複数の全然違う組と同時に会う(食事する)のを厭わない。
*予定や用事を翌日に持ち越さない(たとい、後の予定がキャンセルになる事があっても、一つずつ確実に処理する)。
*酒を 飲み過ぎない(人と会う事が多いから)。
*毎朝確実に 歩行訓練をする。
*疲れたら直ぐに帰って寝る。
この殆どは、誰が見ても当たり前と思われる事ですが、これも相当心を鬼にして我が儘を通さないと出来ないもので、その心労で結構疲れた面はあります。これだけ頑張って会う人を減らしても、結局、実数で41組57人に会う事になりました(に加えてコンサートも見た)。内訳は
  親戚12組20人(計5日)、
  知人24組31人(毎日=計7日)、
  用件5組(計3日)
で、うち大阪は親戚1人知人3人。従って、宮崎の6泊で37組53人に会った勘定になります。延べ人数にしたらもっと多くなりますから、異常としか言えません。少なくとも出張よりもハードな日程で、私の普通の帰省でもここまで人に会った事はないのでは無いかと思います。当然ながら買い物の時間も全くなく、本屋はおろか、日本でしか手に入らないものを買う機会は全くありませんでした。それほどの多忙スケジュールですから、帰宅後10日間ぐらいは風邪も引けないほど(無自覚で)疲れていて(ここで無理すると病気になる)、なんとなく感覚が戻り始めて疲れを自覚出来るようになって、やっと「過労の反応として本来ひくべき」風邪が引けたぐらいで(風邪を引いて喜ぶのも変な話ですが)、その風邪も峠を越して今日になって元気が出て来た所です。

 法事は車椅子ごと寺の講堂の階段を持ち上げて貰い、その和式玄関からは歩行器を援用しながら四つん這いになって、四つん這いのまま座敷の前まで行って、そこでソファーに座らせてもらってお経を読んで貰いました。焼香も両手を使ってなんとか出来、法事自体には満足しています。その後の墓参りは市営墓地のお陰で車椅子対応のスロープになっており問題無し。さすがに墓の前にぬかづく事は出来ませんでしたが、墓の正面まで行けたので満足しています。空き家の自宅にも玄関までなら3度訪問しました。さすがに中には入れないので、家の中や庭の様子は分かりませんが、とりあえず、 家の様子 が分かってほっとしています。
 雑務は省略して、友人に会った話なども省略して、鍼マッサージですが、一回だけ左足左手にやってもらいました。鍼は一回限りで効くものではありませんが、少なくとも副作用が出ない事が分かっただけでも収穫です。あと、親戚と同級生に神経内科医がいるので、その2人にも会って、色々と聞きました。一番の収穫は、私の受けた治療が確かに正しいものである事と、私の症状が日本の基準の身障者2級に当たる事が分かった事で、2級といってもピンと来ない私は、こっちに戻ってから知人に、2級の身障者手帳があれば、相当に良いサービスが受けられると教えてもらった次第です。ちなみに私のような重傷例は例自体が珍しいだけでなく、その長期回復過程は殆ど知られていないそうで、今後の予後については全く分からないそうです(要は私のリハビリの質と量次第)。

 最後に介護について。ホテルさえしっかりしていれば、日本の初心者介護で大抵は問題ないのですが、さすがに力作業はスウェーデンからの介護に任せるしか無いと感じました。そういう意味では多少費用はかかってもスウェーデンの介護に宮崎まで来て貰ったのは正解だったと言えるでしょう。力作業を必要とする機会をなくす事が、次回の日本行き(2007年)の際に介護に休暇を取ってもらう為の条件だと感じました。
 スウェーデン人介護に来て貰って良かったと思うもう一つの事は、3年働いてくれた事への一種の恩返しになっていると言う事です。というのも、彼に取ってはこれは「楽」な出張で、それで日本に始めて来る事が出来たからです。というか、旅行だけが介護という仕事の唯一の旨味であって、それを楽しみに働いている訳ですから。で、楽しませるついでに簡単な観光+日本の食事三昧を楽しんで貰いました。観光では平和台、宮崎神宮 青島鵜戸神宮という昔ながらの観光コースが喜ばれた訳で、やはり伝統は強いと感じた次第です。食事では日本食や飲み屋より餃子、シュウマイ、巻き寿司に舌鼓を売っていて、小学生の頃の自分の嗜好を思い出しました。意外に、外国人には子供の好物が喜ばれるのかも知れません。
 ちなみに、介護の旅費とホテル代は私が払いますが、 介護の給料や日当はキルナ市が全額出してくれます。現地介護の費用も、昨年春以来の数回に渡る交渉した末、キルナ市が出す事で話がつきました。もっとも、キルナ市が出さなくても現地介護を頼むのは悪くない考えのようです。一部には、帰ったときぐらい家族や親戚が介護すべきだと言う意見があるかも知れませんが、帰省費用を考えれば間違いだと思います。というのも、今回は親戚家族に介護して貰う為に帰ったのではなく、時間を最大有効に使って、用件を分担してすませ、かつ皆に会う事が最優先だったからです。私とは別行動で用件を済ませるべき(それは私の用件でもある)人間が私に付きっきりになっては、短い滞在が半分しか使えません。それを避けるべく介護をつれて来て、かつ地元で雇う訳です。その一方で、知人とゆっくり話をする時間を確保するべく、知人に簡単なお手伝い(歩行訓練の付き合いとか)を頼む事はもちろんある訳で、そうやってこそ、効率的に用事が終わり人に会える訳です。それが、宮崎6泊での37組53人という数字に現れる訳で、旅行費用(下述)をこの数字で割ると1組当たり1万3千円となって、極めて効率の良い旅行だった事が分かります。これも完全な介護のお陰といえます。

 今回の帰省(8泊10日)に掛かった費用は、滞在費(食事や移動)を除いて
  航空券2人分:35万円
  ホテル2人分:13万円
  保険+レンタル+ホテルまでの足:2万円
の50万円(1人だったら20万円で済む)で、これに滞在費(今回は御馳走になったり車に乗せてもらったりして殆ど掛からなかったが、タクシー代とか入れると1日1〜2万円)が加わりますから、普通に滞在すれは1週間でも旅行費用は60万円になります。たまたま私はやや高い給料で75%働いているから日本に行く余裕がありますが、スウェーデン人(キルナ)の平均給与(最頻値)は年間手取りで250万円程度なので、身障者と言う、国の税金を使っている身としては、身の程を考えて、毎年日本に行く訳には行きません。そういう訳で次回は2007年です。 航空会社は今回と同じfinnairの可能性が高く(ここが最短時間)、もしもSASがストックホルムー日本直行便を運行する場合に限りSASになると思います。
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