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リハビリ記録その8:リハビリ入院

2003-6-22 山内正敏

 夏至祭の昨日は高い高い太陽の元(仰角ほぼ45度)でベランダでビールを飲んでおりました。ようやく新緑が出始めて、気持ちの良い季節(でも蚊と樺花粉の季節)の到来です。
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2003-5-21: 入院前

 来週月曜から3週間(5月26日ー6月13日)、隣県のウーミオ大学病院の神経リハビリ棟に入院します。目的は神経の回復具合のチェックと、新しいリハビリ法の模索です。入院中はインターネットにアクセス出来るとは限りませんので(出来たとしても英語のみ)、急用の方は英語でメールの上、同時にキルナの研究所にご連絡下さい。
 入院の申請は昨年から出しており、スウェーデンの病院の常で散々待たされて、当初の予定(これはウーミオでなく県内のルーレオ)から8ヶ月遅れでようやく入院の運びとなりました。特に最後の1ヶ月は病院スタッフのストライキの為に延期になったもので、このあたりは如何にもスウェーデンです。片道 600kmの旅費は公費で、希望すれば旅程に介護も付きますが、直行便の飛行機(ジェットで50分)があるので付けませんでした。

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2003-6-22: 入院後

 入院では検査/リハビリ対策ともにかなり充実して満足しています。特に手の整形外科に行けたのが収穫で、キルナではお手上げ状態だった手指のリハビリ(というのも専門家が1人もいなかったから)にやっと着手出来て、今はそのプログラムに従って関節の柔軟をやっています。成果は早速あって、今まで小指の第3関節が2つに分かれていたのですが、外からうまく力を加えれば(ちょっと痛いけど)、右に限っては1つにまとまって関節らしく盛り上がり90度に曲げる事が出来るようになっています。従って右は(外からの力づくで)拳骨を握るのにもう一息です。左は小指の関節こそ完全に分かれたままですが、薬指が関節らしくなってきています。あと、親指の扁平の方も対策を立てる様になりました(現在は猿鷲手というのになっている)。
 足の方は今までの私の(強引な)自主トレで十分だそうで、それでも、今の段階の練習に見合うようなギブス等を早速あつらえて貰ったりして(キルナの病院で1〜2ヶ月待たされる)、さすが大学病院は仕事が早いと感心しています。病院の良いところのもう一点は長い廊下(タイルの数を数えて105mと算出)があることで、今までのアパートの中での歩行訓練の距離(10-20m)から一気に一桁増えて、退院の日なぞは、一回当たり最長400m、1日累計で1.4kmも歩行器で(介助なしで)歩いてしまいました。キルナに戻った今は、室内用の歩行器で無理矢理アパート前の道(300-400m)を1日1回歩いています。現在のベストタイムは400m/30分。ただし、室内用の歩行器で外を歩くのは本当は正しく無いので(危険)、近々屋外用の歩行器(大きな車輪)を手に入れる予定です。ウーミオからの recommendation がキルナ病院に届いているから、2ヶ月はかからないだろうと期待しているが、どうなる事やら。
 ウーミオで始めた自主トレに、車椅子を(手を使わずに)足だけで動かす(可能なのは後向きだけ)という訓練があります。要するに蹴り足の練習です。これは歩行器で歩くよりも少しだけ速く、今日出した新記録は1.0km/55分です。そう言う訳で、最近は車椅子では殆ど足台を使いません。研究所にすら足台なしで行っています。
 ウーミオでの他の訓練に、例えばタクシーの使い方なんてのもあります。 滑り板1枚で車椅子と車の助手席の間を移動する 練習で、ウーミオで使っている滑り板だと、問題なくすんなり移動できましたか、キルナの病院にある滑り板では無理で、たかが板1枚といえども、デザインの重要性を実感しました。そこで、ウーミオからの帰りには土産にその滑り板を持って帰って来て、早速研究所に行く時などに使っています。普通のタクシー(ハッチバック車)を使えるようになって一番嬉しいのは、将来の出張の心配事が一つ減った事で、これで、北部ヨーロッパなら何処にでも行けます。但しハッチバック車でないと車椅子が詰めませんので、セダンしかない日本だとちょっと面倒かもしれません(注、日本ではトランクをあけて、そこに車椅子を積むと聞いたが確認していない)。
 検査は手整形科以外に泌尿器科と神経内科がありましたが、検査結果自体は余り芳しく無く、膀胱の収縮力も手足の運動神経も殆ど回復しておらず、例えば手の神経で唯一反応があったのが右の正中(Median)神経だけで、しかも振幅は通常の8分の1の0.5mVでした(細かい記録は こちら )。この程度の神経回復でよくぞこれだけ動いているものだという感じです。まあ、1年半前には手足共に全く反応がなかったから、それに比べれば改善ですが、それにしても遅い! 気長に病気に付き合っていくしかありません。
 ウーミオは病気初期(1年7ヶ月前)に集中治療室に入院した事がありますが、その時のスタッフは私の事を皆覚えていてくれて、集中治療室以外で鉢合わせると、向こうの方から『キルナから来て集中治療室に入院していただろう?』とか声を掛けられます。その当時の私は視力も殆どなかったので二三のスタッフを除いては顔を覚えていないし、聴力も悪かったので人名も全く覚えていないしで、ちょっとバツが悪いのですが、とにかく、でっかい大学病院のスタッフが覚えてくれているのは嬉しい限りです。で、ついでに一度だけ集中治療室を訪問しましたが、私の思い込んでいた部屋割り(ベッドの配置など)と全然違っていたのはショックでした。本当に 幻覚状態 にあったようです。いや、完全に覚醒してからも2週間いた訳ですから、不十分な聴覚だけで部屋を想像する事の困難を感じました。正確だったのは、1回だけ入った風呂の様子とその位置だけ。まあ、目玉すら動かない日々でしたから、天井しか知らないのは当然かも知れませんが。
 病院の隣がウーミオ大学だったので、ついでに初訪問しました。キルナの研究所はウーミオ大学の大学院を兼ね、私自身もウーミオ大学に若干所属し、ウーミオには同業者も沢山いるのに、今まで1度も訪問したことが無かった訳で、入院がなければ一生訪問しなかったかもしれません。
 ところで、今回入院した神経リハビリ科は(同じウーミオ市の郊外にリハビリ専門の療養所がある事から)患者5人の小所帯で、その5人全員が男性、しかも20歳台+30歳台+40歳台前半2名+50歳台という若い構成で、今までで初めての経験(キルナは60歳以上のお婆さんが8割)でした。しかも全員が車椅子(キルナやルーリオのリハビリ病棟患者より重症)という事もあって患者全員が仲が良く、2週間前の土曜日なんか、神経リハビリの患者全員(+看護師全員)で病院を抜け出して近くのパブに行き、そこで酒(ビール、スプリット)をしっかり飲んで、病院の門限過ぎ(10時、1つ目の玄関がロックされていたので遠回りした)に帰って来た程です。いや、入院生活はこうでなくっちゃ。パブ行きの首謀者は私の同室人で、彼は25年このかた車椅子生活で、車椅子のマラソン(42キロ)に100回以上参加した事のある強わ者です。何でも 1982-1985 にかけて大分の国際車椅子マラソンに参加して、ものすごい成績だったとか(でも、あとから彼の名前をホームページで捜したけど参加者リストに無かったのはどうしてだろう?)。
 ウーミオへの旅行ですが、病気後初めての普通旅客機(救急飛行機には人工呼吸のままで乗った事がありますが)は、空港の充実したサービス(車椅子を抱えてタラップを昇降するのは飛行機会社でなく空港の担当)で全然問題ありません。そこから先のタクシーもこれまた問題無しです。という訳で、8月末のヘルシンキでの学会は八分がた参加出来そうです。で、そのヘルシンキ行きですが、私の持っているマイレッジの特典旅行として介護を2人を連れて行けるかスカンジナビア航空に問い合わせたら、2つ返事で ok との事でした。福祉に煩いお国柄です。
 ウーミオで唯一残念だったのが、集中治療室の時の病気日誌が神経内科の書庫に見つからなかったことです。ファイルはあるものの中身がありません。よって、発病後4週間の病状並びに治療記録は、最悪の場合、永遠に分からない可能性があります。まあ、捨てられる性質のものでないので、いつか何処かから出て来るものと期待していますが(注、これは1年半後の再訪問の時に見つかった)。
 13日金曜深夜にキルナに帰ってみると、今度はルーリオの病院から月曜(16日)に来いという手紙が届いていて、あきれてしまいました。県病院本院は私のウーミオ入院を全く御存じないと見える、、。キルナの病院もウーミオの病院もルーリオに連絡するする言って連絡しなかった模様で、でも、放って置けないから、タクシーの手配(キルナからルーリオまで高速で3時間半かかる)とか看護婦への伝言依頼とかしたら、月曜朝の出発30分前になって、来なくて良いとの電話があり、連絡不良による無駄足はなんとか避けられました。
 で、キルナに戻ってからの1週間は、夏休み(今週から)前の最後の週としての準備で、私は正式に仕事に復帰し(仕事50%、病休50%)、病院での所属が外来リハビリ(Dag-relab)から一般外来(Premiar-vaard)に代わり、それによって体操療養師や主治医も変更になります。仕事の方は正式復帰と言っても、生活そのものは3月以降と同じで、週2回研究所に行く他は、自宅での仕事となります。
 最後に、最近出来るようになった事:半袖Tシャツを自力で着る。寝ている状態でズボンを足首まで降ろす。特製バンドを使って電動歯ブラシで歯を磨く。爪楊枝を使いこなす。アパートの建物入口(内側)から、全て自力でエレベーターの開閉(手で開くドアです)をし、アパートの鍵を開け、ドアを開けて部屋に入る。でも、これは、シートベルトで車椅子にしっかり括り付けられた場合のみで、昨日はじめて出来ました。

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Neuro rehab, Neurocentrum
Norrlands universitets sjukhus
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