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リハビリ病棟からの E-mail

2002年7月〜11月(退院まで)

2002-070*
2002-0719 & 2002-0723
2002-0731
2002-0819
2002-0908
2002-0928
2002-1030
2002-1102


----------- 2002-070* -----------
I have been sick for 9 months since last year, and am still in the hospital. Only recently I re-started accessing e-mail, but only using mouth because my hands does not move. I hold a stick in my mouth and type keybord with that stick (photo). Doctors do not know when I can use my hands and leggs, and statistic of my disease shows that it takes a few years to recover, with quite high possibility of strong after-effect for my case.
Yamauchi
9ヶ月ぶりに電子メールが読めるようになりました。手足はまだ動きませんが、口に棒をくわえて、その棒でキーボードをたたいています( 写真 )。但し口だけで日本語を書くのは大変なので、今後の送信は英語を基本にさせていただきます。またメモリーの関係で、入院中は貼付ファイルは読めません。悪しからず。
山内正敏

----------- 2002-0719 & 2002-0723 -----------
Now I can read Japanese from my iMaC, but most Japanese mails past 9 months were lost due to lack of memory. I cannot read attachments for the same reason.
Yamauchi
日本語が読めるようになりました。但し口だけで日本語を書くのは大変なので、今後の送信は英語を基本にさせていただきます。またメモリーの関係で、入院中は貼付ファイルは読めません。悪しからず。
山内正敏

----------- 2002-0731 -----------
Subject: from institute
まだ私の病気を知私ない方も多数おられる様なので重ねてお知らせします。
昨年10月末にギランバレー病にかかり、全身麻痺で息も出来ないほどで、3ヵ月かかってやっと人工呼吸器が取れたほどの重症でしたが、このほど口に棒をくわえれば、それでタイプができるぐらいには回復しました。まだ、手足は麻痺したままで、回復にはあと2年ぐらいかかるそうです。
山内正敏 at Kiruna hospital

----------- 2002-0819 -----------
Subject: from hospital
 励ましのメールをどうも有難うございました。
 私の方は相変わらず遅々とした回復ですが、それでも退院の話が進んでいます。現在の予定では11月から週末帰宅を始め、年内には退院させられる事になっています。ただ、退院と言っても24時間の介護付きで、その介護チーム5人を今週の新聞で募集します。費用はもちろん国と市が分担します。
 仕事の方は週に1回1時間半ずつ研究所に車椅子用タクシー( 写真 )で行っています。その際のタクシー代の大半は市がもち、私はバス代程度を払うだけです。9月には研究所でコロキアムと研究会が3日ずつあるので、それには介護付きで参加します。実はもう一つオーストリアでの学会にも参加を予定して発表要旨まで書いたのですが、未だに寝返りすら打つ事が出来ないほど手足の回復が遅れている事と、日程がキルナでの研究会に重なる事から取り止めました。
 さて、ギランバレー症候群に関して誤解があるようですので補足しますと、この珍病の患者の8割は呼吸器を必要とはせず、その場合に限ってごく僅かの後遺症で済みますが、呼吸器を必要とする場合はほぼ確実になんらかの後遺症が残り、特に私のように3ヶ月も呼吸器を必要とした場合は、歩けない等の重度の後遺症が残るそうです。私は足の訓練の仕方は良く知っているので歩けるぐらいにはなると思いますが、手が回復するかどうかは全く分かりません。統計でも指や握力の回復が一番悪いそうです。現在車椅子を自力で回していますが、これは主に肩の筋肉を使っています。
山内正敏

----------- 2002-0908 -----------
Subject: from hospital - 2
 御心配おかけしています。
 今週の3ー5日にかけて研究所で小さな研究会があったので車椅子で参加してきました。10ヶ月以上前の入院以来はじめての本格的サイエンス活動で、人の講演を聞くのが初めてなら、発表するのも初めてで、最前列に陣取って久々に頭の方の欲求不満を解消しました。ただ、ずっと座り続けるのが苦痛で、まるで日欧間の飛行機で背もたれのないエコノミー席に座って一度も席を立たないようなものです。幸い研究所内のゲストルームが空いていたので、最終日の12時間スケジュールでは昼と夕方の休み時間にそこのベッドで横になって腰の痛みからのがれておりました。最終日の夜は懇親会で、そこでカクテルとワインと日本酒を飲み、半分酔っぱらって9時過ぎに病院に帰りましたが、看護婦さんたちは咎めるどころか、私の上機嫌な様子に、それは良かったと歓迎しておりました。
 今日はスウェーデン総選挙の不在者投票を病院内でしてきました。この国では国会、県議会、市議会の同時選挙が4年おきにあり、その投票日は来週ですが、当日所定の投票所にいけない人の為に郵便投票の他、移動投票所が設置され、そこで不在者投票が出来ます。私は県議会と市議会に選挙権があり、普段の看護婦さんに付き添わられて投票に行ったのですが、手が使えないので投票用紙を所定の封筒に入れる事が出来ず、結局たまたま付き添ってきた看護婦さんに代わりに入れて貰いました。投票の秘密を主張すれば別の手続きになったと思われますが、その機会を逃してしまった訳です。まあ、私のように手の使えない患者はリハビリ病棟に移って以来この半年間一人も見かけていませんから、あらかじめ準備がなかったのも仕方ありません。
 リハビリの方は、体操療養士による訓練の他、車椅子を漕ぐ自主トレもやっていまして、病院内に1周160m程の廊下を見つけ、そこをぐるぐる回っています( 写真 )。1ヶ月半前は6周約1kmで30分以上かかっていたのが、今は12周約2kmを40分以内で行けるようになりました。訓練の成果として腕がかなり上がるようになってエレベーターのボタンを押す事ができるほか、新聞を腕でめくる事(今までの4ヶ月間は 口でめくって いた)も出来るようになっています。まだ本はむりですが。
 口によるタイプ もかなり上達して、例えばこのメールを打つのにかかった時間は1時間10分です。
山内正敏

----------- 2002-0928 -----------
Subject: from hospital - 3
 病人の癖に今月は忙しい日々を過ごしています。
 まず、間口の拾いアパートに引っ越しました。
M. Yamauchi
Thulegatan 25, 5st
S-98131 Kiruna
SWEDEN
 病気になって2度目の引っ越しで、今までのアパートには1度も住む事なく越した事になります。いずれの引越しも不本意なもので、一回目は市営住宅の閉鎖に伴うもの、今回は車椅子対応の為のものです。キルナに来て11年間一度も引っ越さなかったのに、病気になって立て続けに引っ越すのは妙な気分ですが、お陰で福祉国家といえどもまだまだ向上の余地のあることを実感しました。例えば、今回の引越しに関してなんの補助も(掃除や荷造り等の)手助けも無く、また市営住宅に間口の広いアパートが無い故に一般のアパートを借りざるを得ず、にもかかわらず市営住宅には住みもしないアパートの為に家賃を2ヶ月分も2重払いしなければなりません。で、福祉の向上を願う私は、病院(入院しているのはノルボッテン県立キルナ病院です)の厚生担当のスタッフと図って、市営住宅の総裁に電話をしたり手紙を書いたりしています。ちなみに引っ越費用は約14万円で、入院費用(個室代月3万円+食費月2万5千円+医療費ゼロ)に比べると遥かに高い事が分かると思います。
 11月の退院に向けた準備も忙しくなって来ました。8月に募集した介護には、採用条件に25歳以上と禁煙(病院の看護婦の半数近くがタバコを吸う土地柄である)、香水ナシ、コンピューターを扱う能力(これが一番大変)を要求したにもかかわらず若い男4名と中年女性2名の計6名の募集があり、一人落とす為に面接までしました。法律上の雇用者は私だそうで、ブローカー役を市の身障者課がやることになります。試験採用3ヶ月のあと、本採用となります。介護関係の他、アパートへの医療ベッドの持ち込みや電動式車椅子の注文なども等の作業も進んでいます。これらは全て市や県からの貸し出しとなります。現在残っている一番大きな作業はアパートの改造で、その為の書類も今週提出しました。当地には始めから身障者用のアパートというものは無く、身障者用に改造可能なアパートに移り住んで、それを実際に住めるように市が改造します。改造の可能性や実際の改造箇所は病院の作業療養士が決めるわけですが、実にその決定で私の引っ越しも決まった次第です。
 これらの雑務に平行して、仕事のほうでも忙しい月でした。上旬の研究会については前回レポートしましたが、先週18ー20日は3日間とも朝から夕方まで濃密な研究会(参加者10名)に参加して毎日身体的にくたくたになって病院に帰ってきました。最終日の夜は病院で夜9時半まで打ち上げをして、研究会参加者の大多数とワインを飲んで打ち興じておりました。日本の病院では考えられない光景です。で、研究会で発表した内容の報告論文(proceeding)の第1次締切が昨日だったので、人口クチバシ(口にくわえた棒や頭にはめた棒)で、リハビリの合間を縫って執筆しておりました。元気な時なら半日かせいぜい一日で書ける量でしたが、タイプに時間がかかる上に、コンピューターに向かえる時間が一日当たり限られているので1週間かかりました。内容はせっかく苦労して書くのだから、もちろん斬新で危険なものです。昨晩10時にやっと脱稿して会議参加者にメールしましたが、よく考えてみれば、病院で手も音声も使わずに外国語の科学論分を自力で書いてしまった人間なんて世界で私ひとりじゃないかしらんと今はほくそ笑んでおります。実はもう一つ10月10日締切の報告論文があって、これは無視しても良いのですが気分の良い今の内に書こうかと思っています。
 さて、リハビリの特別訓練の為、近々350キロ離れたルーレオの県立病院本院に転院します。滞在4週間の予定です。当初の予定では今週頭の23日に行く筈でしたが、ベッドがふさがっていたり看護婦が不足していたりして、未だに転院日が決まっていません。まあ、お陰で論文執筆に専念できたので、これはこれで良いのですが、10月上旬に日本から来る見舞い人がスウェーデン国内便の予約が出来ずに困っています。
 最後に、私の回復状況ですが、自主トレの車椅子漕ぎを頑張り過ぎて(16周2、6キロ47分)首を痛めてしまい、自主トレ見合わせ令が出てしまいました。その時間を論文執筆に使っていたのは言うまでもありません。車椅子練習は後向きもやっていて、9周約1、5キロを40分あまりで漕ぐ事ができます。車椅子以外では9月から 電動式自転車 (ペダルが勝手に回ってくれる自転車)での練習も始めています。この機械は私が個人的に運動用品会社からリースしたもので、成果がよければキルナ病院も購入を考えるそうです。
2002-9-28 山内正敏 (今日のタイプ時間は2時間10分です)

----------- 2002-1030 -----------
Subject: from hospital - 4
 キルナは再びスキーシーズンを迎えています。
 発病から1年が経ちました。昨年の今日、10月30日、床に崩れ落ちて動かなくなった体で、やっとの思いで電話に辿りついて救急車を呼び、そのまま入院して、翌日には全身麻痺に陥ったのですが、その急勾配(発病後3日で完全麻痺)になったのに比べると、回復の勾配は数百分の一と云ったところでしょうか。
 この1ヶ月で一番進展したのは腕の動きで、やっと腕を頭の上まであげられるようになりました。顔のかゆいところを曲がりなりにも掻けるようになったのは嬉しい事で、頭が掻けるようになるのも時間の問題です。腕があがるようになったお陰で本のページをめくる事も出来るようになり、先日は600ページの文庫本を3日で読みました。肘からだらんと手を垂らして、爪にぺーじの端をひっかけ、肘の力でページをめくっています( 写真 )。同じ要領でキーボードを 指でタイプする 訓練をしていますが、指に力が全く入らない(指を曲げる力は勿論、曲がらないようにする力も無い)ので、5ー6文字/分でしかタイプ出来ません。しかも筋肉を殆ど失っていますから、肘を持ち上げ続ける事すら大変な苦痛で、タイプよりも休憩に時間を食っているのが現状です。
 足の方はまだまだで、一向に立てません。尻と大腿の筋肉(神経)が弱いのが原因で、例えば人の助けで歩行器にもたれるように立たせて貰っても、腰と膝は曲がったままで、歩行器には両腕でぶら下がった状態になってしまいます( 写真 )。プールの一番深いところでも同様で、体は首浮輪のお陰で直立しているのに、腰を膝が曲がってしまうので両足を底につける事が出来ません。それでも足の力に進展はあって、ベッドの上で腰を僅かながら動かせるようになり、週末には初めて寝返りが打てました。
 筋力の回復に伴って関節も随分柔らかくなりました。今でこそ自力で腕があがり、手首を顔に当てる事が出来ますが、4ヶ月前は、自力どころか他人に無理やり曲げて貰っても、腕は真横まで、肘も90度がやっとでした。腰の関節も同様に柔らかくなって、今では正座こそ出来ませんがあぐらはかく事が出来、前屈も45度くらいには曲がるようになっています。筋肉がなくなったら関節は自由になるどころか硬直すると云うのは意外な発見でした。
 体重は病気前の68キロから20キロも落ちていたのが(最低48キロ)、今は4ー5キロほど回復しています。奇妙なのは病気前には全くぜい肉が無かったのが、今はお腹の回りに少しぜい肉がある事。運動神経が麻痺しただけで(栄養補給をしているにもかかわらず)筋肉が毎日 0.5kg ずつ落ちるのも変なら、いくらトレーニングしても筋肉がなかなか増えず、僅かに戻った分の半分がぜい肉になるというのも不思議なものです。
 車椅子を漕ぐ訓練は、前向き約3キロ(18周)、後向き約2キロ(12周)ともに50分弱で、先月から余り進歩がありません。車椅子といえば電動式のものを動かす練習もしています。スーパーの中や雪上が難しく、自在に使えるようになるにはまだまだ時間がかかりそうです。交通規則によると電動式車椅子よりも一般の歩行者の方が優先で、特に3速以上(全部で5速)で運転する時は、交差点で方向指示器を出さなければならない等、自転車の規則が該当します。面倒なのは飲酒運転が一切出来ない事ですが、でももしも飲酒運転でつかまったらどうなるのか良くわかりません。身障者用の監獄に入って介護が毎日そこに来るのでしょうか?そう考えるとわざとやってみたいと云う興味はそそられますが、現実問題としてパーティ会場で電動式車椅子を使うのは仰々しく、今まで通り、室内は腕で回す車椅子を使う事になるでしょう。県の身障者補助機器課から借りる車椅子はこの2台の他にトイレ専用があり、不必要になった段階でこれら3台を引き取ってくれます。
 研究所には週に1回行っていますが、この1ヶ月と云えば、新しいオフィスや廊下などを車椅子用に作り変える為の相談や、火災対策の講習会や大学院生の博士論文公聴会など雑務ばかりで、自室(入院以来丸1年まったく手を付けていない)の整理すら始めていません。雑務と云えば先月の引越しのごたごたも残っています。前回お知らせした公団住宅との交渉の方は1回の手紙ですんなりと家賃1ヶ月分免除となったのですが、引っ越し会社と清掃会社がこっちの足下を見る暴利をむさぼっているので、その交渉が続いています。福祉国家と云うのは福祉産業が(公共団体からの安定した大名発注によって)儲かるシステムであって、引越し会社もその感覚で個人顧客の私に 2-3 倍の値段を値段を請求した模様で、結果的に身体障害者ゆえに不当に高い引越し代を払わされた訳です。最終的には新聞に投書しなければならないでしょうから、まだまだ雑務は続きます。
 でも最大の雑務は退院の準備です。当初、11月10日の退院予定だったのが、10月に予定されていた県病院本院への転院が来年1月へ再延期となって、こっちの退院が繰り上がり、今のところ明後日11月1日金曜日退院予定です。退院理由は薄弱で、単に入院から1年たったから。病院の方がリハビリにも衛生管理、安全管理にも良く、使われる税金と云う面でも介護5人を雇うよりも低コストで、しかも患者たる私すら退院を望んでいなのに、とにかく追い出して自力で社会生活をさせる訳です。退院となると、アパートの改造やら、必需品の搬入、購入(例えば身障者用のベッドは貸してくれるが、それに敷くマットは自分で購入しなければならない)やら、介護5人の訓練やらで何かと忙しく、お陰でこの2週間はパソコンに向かう時間すら余りありませんでした。
 退院に先立っての一番の不安は介護の質で、例えば病院だったら看護婦2人掛かりでやる仕事(ベッドから車椅子への移動や、寝返り、シャワーなど)を、看護婦ほどに訓練されていないタダの人がたった一人でやる訳で、更に彼等は衛生管理も知らないし、5人のうち男性2人は子供も持たないので、にわか訓練でどこまで行くかは全くの運頼みです。病院だと看護婦に当たり外れがあっても、同時に複数働いているから助かりますが、介護はただ一人なので逃げ出す事が出来ません。これはスウェーデン全体でも問題らしく、病院関係者がその対策をいろいろ教えてくれますが、要は身障者が根気よく介護を教育しなければならない様です。スウェーデンの福祉は基本的には個人能力に頼らないシステム(医者や看護婦のレベルがたまたま低くても福祉が維持される)ですが、それでも運試しの部分は残っている様です。
 ともかく退院です。退院したら、看護婦さんたちへの感謝を込めてアパートでパーティ(open house)を開かなければなりません。いや、感謝しようがすまいが、ワインパーティを開く事を看護婦さんたち(平均年令55歳)がかねがね要求しているので、これは開かざるを得ません。まあ、私とて病院で大っぴらに酒を飲んでいた訳ですから、これは当然でしょう。ちなみに今月の本格飲酒回数は4回で、2回は NHK のインタビュー(と云っても番組に出る訳ではありません)の際、病棟の図書室でワインをそれぞれ空けたもの、1回は25日の博士公聴会の夜の打ち上げ(このときは私も余興=博士論文のパロディをやった)で3種類飲んだもの、もう1回は4日に同僚など13人と病院の居間で誕生会を開いたもので、このときは特大(1個6000円)のケーキを2個注文して、看護婦さんや他の患者さんにも振舞いました。ここの看護婦さんは甘いものに目が無く、誕生日当日に大量に余ったケーキが翌日には無くなっていました。ちなみに日本からの見舞客がくる時は必ず日本のお菓子(特に洋菓子)を期待して様で、よって今まで私のところにきた日本のお菓子の大半は看護婦さんの口に入っています。
2002年10月30日 山内正敏

----------- 2002-1102 -----------
Subject: 退院しました
お陰さまで昨日退院し、新しいアパートに引っ越しました。入院中は御支援どうも有難うございました。これからは自宅療養でリハビリを続ける事になります。今日オーロラをアパートの窓越しに見て、やっと退院を実感しています。
2002.11.2 山内正敏

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