今年のゴールデンヰークは久しぶりに山で過ごした。
 休み自体は復活祭をはさむ金曜から月曜までの4連休に過ぎないが、ついでに有給を取る人が多いので、事実上のゴールデンヰークである。実際、行楽地のホテルはこの時期だけ一斉に値上がりし、場所によっては3倍にもなる。天気が比較的悪いというところまで日本と一緒で、それゆえ私は遠出を避けて、日帰りハイクやスキーレースなどでお茶を濁してきた。今年も天気予報はいまいち。でも、そんなのが何年も続くと、ついつい「天気第一」の山の鉄則を忘れて、たまには遠出したくなるものだ。しかも多忙だった3月の反動もある。とうとう今年は天気も何も考えずに強引に出掛けてしまった。待っていたのは、例年以上の嵐の復活祭だった。

  風吹き、風舞い、雪飛ばして、また風吹き、
  消え行く路にただ一人、幻の跡を残す。
  人はなし。
  雲と山は混じり合って、霞の如く、霧の如く、
  あたかも過去はすべて夢、
  風に打ち砕かれて、空も頭もいよいよ白し。
  旅はいずこ。

 スキー旅行はまず山塊(谷)を選ぶ事から始まる。これは易しい。キルナと言えばケブネカイゼ(スヱーデン最高峰)、ケブネカイゼと言えばキルナと言われる土地で、ケブネカイゼ山塊(=南北百km以上に及ぶ大山塊)以外はほとんど考えられない。
 故に、私のスキー旅行は、まず入山口を選ぶ事から始まる。北にするか、東にするか、南にするか? バスまたは汽車で簡単に行けるのは北の表玄関アビスコと東の表玄関ニカロクタだが、アビスコ発着のスキー旅行は1993年と1995年に、ニカロクタ発着のスキー旅行は1995年と1997年に、果てはアビスコ⇒ニカロクタの105km 大ツアーすら既に1992年にやってしまっているので、わざわざ人が多くて値段の高いこの時期に行きたいとは思わない。
 残るは南の勝手口バッコタバレから入山するルートだが、入山口がキルナから270k mも離れているだけあって、交通手段が大変で、それでずっと諦めていた。そんな折、近年急速に整備された長距離バスのネットワークのお陰で、なんと、朝8時にキルナを出て昼12時にバッコタバレに到着する乗り継ぎが可能となった。2回の乗り換えがいずれも待ち時間なしの完璧なコネクションである。当地ではバスの時刻表は毎年変わるので、このコネクションが来年もあるという保証は全くない。となれば今年行かなきゃ損だ。これも、天気予報が今いちにもかかわらず強引にスキー旅行に出掛けた理由の一つにあげられよう。かくて連休初日の金曜朝に大量の食料を担いで出かける事となった。夏山と違って冬は嵐で身動きの取れない事が間々あり、食料はかなり余分に持って行く。

 出発の朝、キルナは快晴である。この分なら極楽行程が期待できよう。たとい入山が昼でも、日没の夕方8時まで滑れば50kmは稼げる筈だから、明日中にアビスコ(11 0km先)に到着する事も不可能ではない。実は明日の夜か明後日の昼に、アビスコの近く(友人の別荘)でパーティーをする話が進んでいて、それに合流しようという目論見だ。
 バスの運転手に行き先を告げて175クローナ(約3000円)払う。人件費の高いこの国で、異なるバス会社を乗り換えての270km=3000円は極めて安い。環境保全のための補助金(自家用車を減らす為)でこんな値段が可能となっている。補助金はもともとはこっちの税金だから、どしどし使ってやらなきゃ損だ。
 南隣の町イェリバレが一回目の乗り換え。これは幹線どおしだから無条件に接続してくれる。問題は次の乗り換えだ。実は山行きのバスは15分前に出発済なのである。ただし、次の町まで行って、そこから6km引き返して山に向かうから、時刻表の上では、最後の三叉路で私のバスと接続する事になっている。時刻表ではOKだが、世の中は机上の計算では済まないもの。イェリバレから出掛ける人は、初めから15分前のバスに乗るに決まっているから、こんな接続をする乗客はおそらく月に一人しかいないだろう。しかもバス会社が違う。私も不安なら、事態を呑み込んだバスの運転手はもっと焦った。結局、携帯電話で相手のバスを呼び出して接続の確認を取り、それを私に告げてくれた。これで私も多少の遅れを気にせずにいられる。かように当地のバスのサービスはとても良い。ちなみにここではバスからタクシーの予約すら出来て、バス停でタクシーが待っていてくれる。人口密度が低く公衆電話のほとんど無い土地ならではのサービスといえよう。
 山行きのバスに乗り換えて、三叉路からいよいよ100km以上に及ぶ湖岸道路に入る。2年前のサイクリングで往復とも喘いだ、それでも今は良き思い出の凸凹の田舎道だ。それを1時間ほど行くと、いよいよ三々五々に降り始めた。連休1日目というのに20人ぐらいしか乗っていないから、あっという間にバスの乗客が減ってしまう。やがてバスは山ホテル(サルトロクタ山荘)の対岸・ケブナットで長々と止まった。何をしているかと外を見れば、山ホテルへの宅配便をスノースクーターのタクシーに乗せ換えている。人口密度の低い当地では、バスが小型トラックも兼ねていて、新聞だの(郵便以外の)小包だのを運ぶ。バスグッズという。荷札をつけて、最寄りの無人のバス停にほったらかしにしておくと(当地では盗まれる心配はない)、運転手が積み込んで、そのまま目的地まで運んでくれる。たしか日本でも似たような光景を山間部で見た事があるように思う。
 スクータータクシーにはもちろん普通の乗客もいる。中のワゴンに乗ってもよし、ロープで引っ張ってもらって(=トルカ)もよし、ともかく簡単に山ホテルに行けて、そこで休暇を楽しむ。そんな贅沢を私は4年前にも紹介したが、未だにこれをやったという日本人を聞いたことがない。近年大量に訪れるオーロラ観光客は、アイスホテルに泊まるだけで終わり。もったいない話だが、それが現実だ。かのアイスホテルだって、営業を始めてからの数年は全く日本人が来なかった。マスコミ等の取材すらなかった。日本人観光客の嵐から逃れられる幸運を喜びつつも、「観光地と云うのは宣伝によって捏造される」という法則を噛み締めたものだ。
 この現実の半分は日本語ガイドブックだけに頼る日本人旅行者の罪だが、半分はまともに調査をしないガイドブックの罪である。例えば某ガイドブックだが、この会社は取材の代わりに「旅行者の投書」で記事を作るという、まるでマイクロソフトばりの手抜きで、いつしか業界トップに躍り出たが、この「他人の褌」手法はパリだのウイーンだのメジャーなところでは効果があっても、もともと観光客の少ない田舎では飛んでもない偏った案内になってしまう。キルナの記事に至っては、そのソースたる(観光客からの)投書は、恐らくたった一通ではないかと思われた程だ。キルナに必要なのは「穴場巡り」ではなく、メイン(自然と気候とオーロラとトナカイ)を正しく紹介した正統なガイドブックである。それは別に難しい事ではない。地元(或いは政府)の観光案内所の出す英語版パンフレットさえ参考にすれば、まともな記事が楽に書ける。しかるに、それすらしていない。私が某ガイドブック社を昔から毛嫌いする理由の一つだ。こんないい加減なガイドブックを後生大事に持ち歩く旅行者の気が知れないが、まあ、お陰でキルナの自然が守られている訳だから、これはこれでよしとしていた。
 しかるに、内容が余りに酷いと、旅行会社までがとばっちりを受ける。例えば、地元を何度も回ってちゃんと調べた旅行社の人の説明を全然聞かず、「本のほうが正しい」と独り善がりで思い込んで計画をたて、旅行の後になってガイドブックの間違いについて文句を言う馬鹿が後を絶たない。要するに北欧のイメージ(食後感)を某ガイドブックがひとりで落としていると言えよう。私とて、キルナの情報が間違って日本に伝わっては不本意である。そこで3年前、ラップランドに熱心な某旅行社の肝煎りで、私がガイドブックの改訂に協力する(日本人向けの正確な情報を出す)ところまで話が進んだ。にもかかわらず、かのガイドブック社の連中は、私に一言の挨拶も無く、またしても勝手にキルナの話を捏造した。もう知らん。
 そんな訳で、未だにスクータータクシーと山ホテルの話は日本に伝わっていない。なお、日本の法律によれば、旅行社は完全に設定されたパッケージしか顧客に紹介できないから、連中もまたスクータータクシーや山ホテルの件は喋れない筈である。可哀想に。…まあ、おかげで、キルナの山々が日本人から守られているのだから、長い目では良いことなのかも知れない。
 ケブナットの次はストーラ・シェファルト(大滝)のツーリストセンターだ。そこでバスは10分の休憩を取った。その間に例によって大量の荷物を降ろしている。バスに貨物を載せているのか、トラックで人間も運んでいるのか分からなくなってくる。
 再出発後はいよいよ秘境に入る。ここが北欧最大の滝という事は昨年書いた。本流の大滝がダムと化した今でも、回りにそびえる崖には「大滝」国立公園の名に恥じず、中規模ながらも見事な滝があちこちに落ち、それが今は完全に凍って青白く光っている。半月前にアビスコ峡谷の15m氷滝を始めて見て感動したが、それとは比べものにならないスケールの大きさだ。斯くも素晴らしい景色なら当然絵葉書になっても良さそうなものだが、人口密度が低いだけに写真家も少なく、よって絵葉書が全然ない。カメラはこんなときの為にある。そのカメラは…リュックごと荷物室の中。まあ、こんな事もあろう。それもよし、否、これで再び「写真を撮る」という口実で再びここに来る楽しみが残ったと思うべし。
 ダムを越えると、湖の上に雪ぼこりが舞っている。雪煙というよりは、雪ぼこりだ。相当な西風らしい。空も段々曇ってきて、日はとうに陰っている。晴れているのは東の方だけ。今朝と全然違うではないか。いやだなあ。この分だと、7年前の嵐の再来すら有り得る。これだから山は恐い。
 程なくバッコタバレに着いた。今回の最終目的地は北の玄関アビスコだが、そのアビスコから真っ直ぐ南に延びたクングスレーデン自然歩道は、ここで初めて道路にぶつかって一旦終わる。そして、さっきのケブナットと20km先のリッツセムの2ヶ所から南に向かって再開する。だからバッコタバレは一種の要所だ。それなのに、ここで降りるのは私だけである。ちょいまて、何か間違ってはいまいか。今日は連休初日の筈だぞ。なんで一人だけなんだ? そういえば…、山小屋の裏は山であって谷ではない。スキー旅行は谷道を行くと相場が決まっているもの。慌てて地図を開くと、案の定、夏路だけが記されている。クングスレーデンは夏冬兼用と勝手に思い込んでいたが…。
 落胆するのは早い。少なくとも、バッコタバレは無人ではない。私と入れ違いでバスに乗る連中がいる。山小屋にだって人影がある。南に路は無いから、山越えして来たばかりの連中だろう。ならば、かなりしっかりしたスキー路もあるに違いない。そう気を取り直して入り口まで来ると、「夏ハイク路」の道標の横に、果たして「スキー路」の道標が仲良く並んでいる。さすがクングスレーデン=「王様の山路」だ。地図にはなくとも冬路はある。難コース故に地図に載せていないだけの事だろう。
 12時15分。急坂を歩いて登り始める。早くスキーが履きたいが、前行者の跡はいずれも足跡ばかりでスキー跡はない。雪深し。難路だ。地図に「夏路」しかないだけの事はある。とうとうしびれを切らせてスキーを履いた。林の中をジグザグに登るうちにいつしか本道から逸れて、何度も深雪に突っ込んでは転ぶ。その都度スキーが深く埋もれる。スタック。身動きが取れない。歩いたほうが速かったかなあ…。まあ、仕方ない。ここは我慢だ。雪まみれになりながら、少しずつ登る。わずか1キロ半の行程に1時間もかかって、ようやく丘陵地帯に出た。夏なら20分で登ってしまう所だろう。先が思いやられる。当初の予定では、8時まで走って最低でも50km稼ぐ積もりだったが、諦めて、行けるところまで行くという考えに変更した。
 森林限界を越えると、白い平原が待っている。風は強いが視界も良い。正規の道標こそなけれ、かわりに木の枝が50〜100mおきに立てかけてあって、方向を間違える心配は全くない。ただし、スクーター禁止の区間なので、路面が固定せずやや滑りにくい。そもそも、路面が何処にあるかすら分からない。前行者のスキー跡を頼りに、比較的踏み固められた所を予想して滑っていくが、そのスキー跡とて、逆向きに2〜3本あるだけ。強風で古い跡は消えてしまったらしい。となれば、今ある跡が残っている内に出来るだけ先に進むべきだろう。
 雪だか雲だか分からない丘陵を真っ直ぐにすすむ。柔かい路面と横風で、思うようにスピードが出ない。それでも1時間半で10kmほど進み、この分なら3時には次の山小屋(テウサヤーレ)に着くかも知れないと希望すら出る。その矢先、下り坂の難所となった。
 日本で言えば峠から村里を見下ろす角度に、遠く山小屋が見えている。これが普通の雪なら、10分で山小屋に着くだろう。でも今は路面が酷い。今週の異常陽気で、それまでさらさらしていた雪が融け始めて、アイスバーンになっているのだ。その上ここからは林の中。私の持ってきたのは、幅広とはいえ、エッジのない普通のスキーで、しかも中古だから、コントロールなんか全然効かない。そんな代物を履いて、15〜 20kgの荷物を背負いながら、無人の林にアイスバーンを下る。いくら非常識な私でも、こんな時はスキーを外して歩いて降りるものだと知っている。ところが、これがそう甘くはない。凍っているのは表面だけで、スキーを外すや1メートルの雪にはまり込んでしまうのだ。今度は身動きが取れない。結局、緩い下りは尻もちをブレーキと頼りに滑り、急な下りはスキーを外して深雪をラッセルする事にした。だんだん雪だるまになっていく。せっかくの下りというのに、もどかしい程にのろい。僅か2kmの下りに1時間もかかって、やっと山小屋についた。3時40分。
 管理人が出てきた。出発以来、始めて出会った人だ。お決まり通りの挨拶…今日の行程と路面情報の交換…をして、更に雑談する。
「復活祭だと言うのに少ないですね」
「本当に。昨日の客は3人連れ1組、今夜の客はデンマーク人の4人連れ1組だけだわ」
どちらも南行きだそうで、私のように北に向かうスキー旅行者は希らしい。それにしても復活祭に泊まり客1組は異常だ。景色のとても素晴らしい山小屋なのに、もったいない。若者はみんな何をしているのだろう。山にいく代わりにテレビゲームでもやっているのだろうか?
「少し休んで行ってはいかが?」
「今回は先を急ぐんで、このまま行きます」
「残念ね」
「でも、夏には必ず泊まりに来ますよ。こんなに素敵な所なのだから」
「あなたの速さなら、カイトゥムヤーレ(=次の小屋)には2時間で着くわ」
 急坂を登る。今度は路がしっかりしているので真っ直ぐ登れるが、歩き終わっていざスキーを履くと、ワックスが全然効かない。さっきのアイスバーンで完全に剥げ落ちてしまったのだ。あわてて、ワックスをしなおす。そうこうしながら登っていくうちに、40分後、やっとスクーター路と合流した。まだ1kmしか来ていない。この分だと、確かにカイトゥムヤーレまで2時間はかかるだろう。じゃあ、その先は? 地図によれば、その次はシンギ小屋で、カイトゥムヤーレからの距離は今の区間の1倍半ほどある。単純計算で所要3時間の午後8時半到着だから、順調に行っても明るいうちに着くかどうか。予定は遅れるものと相場が決まっている。向かい風は段々強くなっている。もしかすると、今日はカイトゥムヤーレ止まりにすべきなのかも。
 悲観主義では人生は面白くない。楽観材料もある。まず第一に、ここから先は急坂がほとんどない。第二に、いよいよスクーターとの兼用コースとなって、路面が比較的堅く滑り易い。要するに、スピードが上がると予想されるのだ。だから今はとにかく頑張って、カイトゥムヤーレに着いてから最終決断を下す事にしよう。
 悪天候のせいか誰にも会わない。人っ子一人、犬ころ一匹、トナカイっこ一頭見かけない。スクーターにすら全然会わない。こんな山行きは始めてだ。今はゴールデン・ヰークではなかったのか? ここはクングスレーデン本道ではなかったのか? 変だ変だと思いながら、そのまま休みなく1時間あまり快速に滑り続けて、やがて谷の落合らしきところまでやってきた。地形から判断すると、山小屋が目の前に現れてもおかしくない。ふと真横をみると、200mほど先の低い台地の上に、それらしき建物が数軒見える。地図でカイトゥムヤーレ小屋と確認した。危うく見逃すところだった。午後5時35分。先程漠然と感じた予定どおりの時刻だ。
 常識的には山小屋に腰を定める時刻だが、この1時間の快走を考えれば、今日はもうひと踏ん張り出来そうな気がする。風は確かに刻々強くなってはいるが、雲の高さは出発から変わらず、山は頂上近くまで見え続けている。天候が急変化する心配は余りない。雲で月夜は期待出来ないものの、それでも9時までは何とか明るいだろう。向かい風だからこそ、いつでも引返す事が出来る。臨機応変に引き返すだけの勇気もある。7年前のスキー旅行で経験済みだ。続行に危険なしと判断した。となれば、僅か200mであれ、脇に入るのはもったいない。時間がもったいないばかりか、もしも管理人に会ったら百年目、十中八九引き留められてしまうだろう。山小屋を彼方に見ながら本道で休憩する。
 夕方に向けて風が冷たくなった。5時間以上の全身運動で、さすがに体の発熱能力が寒気に負け始めている。ジャケットを着込んで、ついでに腹にも詰め込む。食料は大量に持ってきているものの、若い頃と違って、さほど大量には食べられない。干し杏を一袋あけ、煮込み肉を食べられるだけ食べる。疲労回復には干し杏よりも干しパインの方が良いが、パインは簡単に凍ってしまうから、スキー旅行は干し杏を使う。
 休憩10分で再出発した。緩やかな登りを思いのほか快調に進む。ワックスが全然効かないのは辛いが、幸い山陰に風と太陽が遮られて、風も弱ければアイスバーンもない。もっとも、そんなコンディションは始めの30分だけ。林を抜けると段々風通しが良くなって、路面もつるつるになってくる。のみならず、真っ白な曇り空で路面の見分けすら付かない。
 向かい風と登りとの格闘で疲れた所に、突然短い下りが現れて、とうとう大転倒してしまった。転ぶのは出発から数え切れない程やっているが、今回は足が完全にもつれた上に疲れが加わって簡単に起き上がれない。疲労を認識して、そのまま休憩と決めた。雪の中にひっくり返ったままスキーを外す。すると、驚いた事に、スキーが裏返ったまま緩やかな斜面をすーっと落ちていくではないか。これは大変だと行き先を見ていると、なんとか20m程で止まってくれた。わずか2%の斜面でも勝手に滑るのだから、どのくらいのアイスバーンか想像がつこう。それを私はエッジなしの距離スキーで重い荷物を背負って滑っている。まあ、転倒するのも仕方はない。怪我がないだけで満足すべきだろう。
 休憩後は斜め前からの激しい横風に悩まされた。風を遮ってくれた山(ここは長いU字谷である)が 2kmほど破れているのだ。風に流された雪粒模様がコースに斜めに走る。消耗が激しい。20分の格闘ののち、やっとマシなところに出たが、それでもまだまだ風は強い。強いばかりか、ますます冷たい。あ〜あ、この行程、何処まで続くのだろう。強気と不安が入り混ざる。逆風が本当に酷くなる様なら、明るいうちの到着は不可能だろう。空は雲に隠されて、かつてアビスコで初心者3人を連れてスキーした時に助けてくれた月夜や星明かりは望むべくもない。天候だって万全には程遠い。行程は引返し得る限界に近づきつつある。それを越えたら、唯一の避難方法はビバーク(=穴ごもり)のみ。そんな判断に迫られるかも知れない。もちろん覚悟は出来ている。危ないと思ったら穴を掘る。これが安全スキーの秘訣だそうだ。
 と、そのとき突風が吹いて、リュックに括つけてあるパッドが横に外れた。まだ20 分しか滑っていないが、疲労も激しいので、休憩にして地図を見る。…あれ? 
 なんと、既に区間行程の3分の2近くを走破した事になっている。しかも、この先に猛風地帯はない。さっきのところが最大の難所だったのだ。その一方で、カイトゥムヤーレからの所要時間はわずか1時間20分。あの猛風にも拘らず、度重なる転倒にも拘らず、なんと快調なことよ! さすが谷路は早い。これなら、あとは休憩なしで一気にシンギ小屋に着けそうだ。
 力百倍とはこの事を言う。ゴールが近くなると、突然気力が出る。特に、予想以上にゴールが近いと分かった時はエネルギーが勝手に湧き出す。レースでもそうだ。登山でもそうだ。もちろん、この気分に翻弄されて、レースの様にラストスパートすると、体力を必要以上に消耗して、山小屋間際で力尽きる心配がある。山での遭難にはこの類が多い。その愚はしない。あくまで、実際の行程が予想の2〜3倍になるかも知れない事を想定して滑る。それでも足が軽くなったのは事実だ。
 休憩から30分を過ぎた。もう見えて良い頃だろう、もう良い頃だろう、とシンギ小屋を探すが、一向に現れない。地図を見間違えたか、距離を見間違えたか、近いことは近いはずだが、不安は段々増してくる。問題は夕闇と嵐だ。夕闇は確実に迫っている。雪ぼこりはますます激しい。ここは本道だから赤の道標が50〜100mおきにあるが、その2つ目が時々見えなくなる。道標が1つ抜けたが故に、次の道標の見えない事すらある。それほど視界が悪い。それでも、路はなんとかわかる。心配なのは、暗さゆえに、或いは雪ぼこり故に小屋をパスするのではないかと云うこと。それだけは避けねばならぬ。7年前のスキー旅行でシンギに泊まった事はあるものの、その時、南から来れば逃さない筈だとは確認してはいるものの、それでも不安は残る。
 50分走ってもまだ見えない。ついにあきらめて休憩を取ることにした。小屋まで50 0m以内の筈だが、自分の勘だけで「ラストスパート」するのは、極楽行程ならいざ知らず、今日の如きギリギリのコンディションでは絶対の禁物なのだ。荷物をおろし、地図を見る。幸い雲は高いから、午後8時とはいえ、山々は見えている。それを地図と比較すると、我が予想は正しい。今度こそ、確実に10分以内に小屋に着くだろう。安心してブルーべリー・スープを飲み干して出発した。今日の飲物はこれ1リットルだけ。
 予想にたがわずシンギ小屋には5分で着いた。丁度8時間の行程で距離37km。今日の起伏、今日の路面、今日の天気、今日の風なら、まあ、こんなものだろう。それにしても、とうとう誰にも会わなかった。スキー客はおろか、スクーターにすら出会わない。見かけもしない。音すら聞こえない。7年前の大ツアーとは雲泥の差だ。あの時は、嵐にもかかわらず、引っ切りなしにスキー旅行者だのスクーターだのに出会った。今年はコースがマイナーだったのか、出発12時過ぎと云うのが悪かったのか、天気がそこまで酷く無かったのに、8時間まるっきりの独りぼっち。唯一出会ったのがテウサヤーレ小屋の管理人だけ。もちろん、これが快晴好天なら上々吉のスキー旅行であるが、如何せん、強風が吹き荒れている。面白くも何ともない。誰も滑っていなかったのも当然かも知れない。にもかかわらず、否、だからこそ、この中をせっせと他人の倍も滑って来た。考えてみれば少々強引の気がある。第三者には異常に見えるかもしれない。でも、一応、嵐の中のビバークを覚悟しつつ滑ったのだから、無謀ではない。無謀とはビバークを覚悟せずに滑る事を指す。
 スキーが10本程立てかけてある小屋を選んで中に入ると当然の如くストーブがついている。暖かきを知って、初めてそれまでの寒きを覚え、灯火の明るきを見て、始めてそれまでの暗きを識る。今更ながらに、ギリギリの行程だった事を思い知らされた。途中であと1時間遅れていたら、果たしてビバークせずに済んだかどうか。しばらくして管理人が来たが、予報によると、明日は嵐らしい。今でもほとんど嵐で、僅か 30m先のトイレに行くのすら、完全防備が必要なくらいだ。

 朝7時過ぎに起きる。暴風はいよいよ吹き荒れている。北西の風なので、北に向かう今日の行程が思いやられるが、天気自体はさほど悪くないから、風に逆らって進んでも危険はなかろう。きつかったら戻ってくれば良いだけの事だ。少なくとも7年前に経験したような雪嵐ではない。
 朝食とリュックの整理をすませて、いざ出発と言う間際に、管理人が今日の予報を伝えにやって来た。
「山間部では北西の風・秒速20mと言っているけど、現実に吹いているね」
確かに平均風速20m/sはある。台風並み。しかも障害物のない風速20m/sだ。
「それはいつまで続くんですか」
「予報では午後まで続くそうだが、なんと言っても山の事だからな」
少なくとも当分良くはならないと言うところか。
「君は今日は何処に向かうのかい?」
私の出発準備を見ての質問である。
「取り敢えずセルカ(北に向かって次の小屋)に向けて500m程進んでみて…、」
訝しそうな目つきだ。きっと『こいつ何考えているんだ』とでも思っているのだろう。
「その具合で行けそうならそのまま続けるし、駄目なら諦めてニカロクタ(真東に33 km)に行きます。この追い風なら簡単な筈ですからね」
7年前は北からやってきて、シンギで東に曲がってニカロクタに向かった。その時は逆風の吹雪をついての行程にもかかわらず6時間弱で抜けている。その同じ路を追い風に乗って行こうというのだから、確かに楽行程の筈ではある。但し、管理人の「何を急いで」という疑問はとうとう拭えなかった。
 一般に、スキーツアーで一日30km以上行く事は珍しい。普通は12km〜25km。山小屋に直すと1つか2つしか進まない。宿帳を調べてみてもそうだ。前日の宿泊先と翌日の宿泊予定が書いてあるが、半数が手前の山小屋から、残り半数が2つ先の山小屋からの到着で、3つ先の山小屋から来たという連中はいない。そもそも自然を楽しむために来ているのだから、ゆっくり楽しみながら滑るのが本筋ではある。3つ4つと稼ぐのは地元の人間だけ。そして、この地元の客と言うのがキルナの山小屋の場合は非常に少ない。だから、管理人も私を南からわざわざやってきた日本人と思ったのだろう。とすれば、昨日入山して一気に37kmも滑り、今日はもう下山してしまうらしい私が、一体何の目的でこの山に来たのか疑問に思うのも当然とはいえよう。
 宿帳によれば、殆どがスヱーデン南端や外国(ドイツ等)から来ている。スヱーデンの中部以北はそれぞれ固有のスキーコースを持っているから、私が他の山塊に行かないのと同様に中部以北の連中もわざわざここまでは来ない。一方、山塊から遠く離れた南部の人間にとっては、キルナに来るのもスヱーデン中部の山塊に行くのも手間は同じである。となれば、スヱーデン最高峰を含むこの山塊を選ぶのは自然な成りゆきだろう。スヱーデンどころか、ノルヱーやフィンランドを含めても、キルナに勝るスキー旅行コースは無いのだ。かくて、キルナの山塊に限って、地元の人間よりも南部の人間のほうが圧倒的に多いという現象が起こる。特にこの時期は99%が南部人と思って間違い無い。
 スキーを履こうとして板を地面に置いたら、風に垂直に置いたにも拘らず、10mほど登りに向かって吹き流されてしまった。並みの強風ではない。気を取り直してスキーを履き、8時半に出発。取り敢えず風上に向かう…向かう努力をする。が、それは殆ど不可能。500mどころか50mで諦めた。それほどの暴風だ。これはもう、風を背にしてニカロクタに帰るしかない。山で大切なのは、状況と体調に応じて、すぐに撤退の決断を下す事である。単独行だとそれが気楽に出来る。単独登山がパーティー登山よりも安全だと言われる所以である。そして、マスコミ等に予算を支えられたパフォーマンスの登山が危険だと言われる所以でもある。無理をしないためには単独に限る。
 強烈な追い風のお陰であっと言う間に峠を越して、いよいよ危険な下りにはいる。アイスバーンの追い風。峠の風下ゆえに風は5分の1に弱まったが、それでもブレーキが全く効かずにずるずる降りていく。とにかく止まらない。ただ昨日と違うのは樹木がない事。この差は絶大で、全くコントロールが効かないにもかかわらず、スキーを履いたまま下る事ができる。もちろん転倒はする。今日のコースは昨日と違って路面がガチガチに堅いから、転べばそれなりに痛い。痛いなんてものじゃなくて、あざがどんどん増えていく。怪我だってした。でも木にぶつかって大怪我する心配だけはない。
 あざの数に比例して快速に進む。朝10時前にはケブネカイゼ山荘が見えてきた。スヱーデンでもっとも有名な山ホテルだ。当然、そこからバス停ニカロクタまでの20km アクセス区間は、スヱーデンでもっとも人が多い。滑る人やスクーターに乗る人はもちろんのこと、スクータータクシーも頻繁に走っているし、更には雪上車すら運行している。そんな世俗路だから、楽しんで滑るといったものではない。景色だって、夏春ともに何度も歩いて見慣れている。もはや大きな不安も大きな楽しみもない。強いて言えば、バスの時刻が気になる程度か。
 今朝出発する時、一応バスの時刻表をちらりと見たが、7年前の経験から、昼前のバスは無縁と決めて、午後のバスしか時刻を見ていない。休祭日は3時50分発。昨日の調子、或いは7年前の調子なら、これでピッタリである。しかも、そのバスに乗れば、キルナでそのままアビスコ方面行きのバスに接続するから、友人の山小屋でのパーティー…なんと、かの「魚腐」を食べようというものだ…にすら間に合う。これが、食料など万全であるにもかかわらず急いで下山しようとした、もう一つの理由である。
 ところが、ここに問題が持ち上がった。快速なペースゆえにバス停に余りに早く着いてしまうという事だ。この分だとバスを4時間も待たなければならない。それはさすがに敵わない。そこで思い出したのだが、確か昼前にもバスがあった。頑張ればぎりぎり間に合うかも知れない。ただしその時刻は分からない。12時直前だったように思うが、定かではない。リュックのどこかに時刻表はあるが、それを探す時間の差でバスを逃してしまっては後悔先に立たず、とにかくニカロクタに出来るだけ早く着くのが先決だろう。制限時間の見えないゴールを目指して全力で飛ばす。
 残り10kmを切った。時刻は11時過ぎ。洪氷が美しい。氾濫と凍結とを繰り返した挙句、何重もの層になって、それぞれ青く黄色く赤く色づく。氷は毎年姿を変えるが、今年は明らかに当たり年だ。但し、美しいだけに路面は悪い。中には水浸しになっている所もある。でも、それでも、昨日や今朝さっきまでの悪路に比べれば何層倍も滑りやすい。荷物をものともせずにスケーティングで頑張っていく。
 努力むなしく、とうとう12時を回ってしまった。ニカロクタは近い筈だが、まだ見えない。ここのバスは殆ど定刻に走るから、もう無理だろう。あ〜あ、あと20分早くシンギ小屋を出るんだった…。そう後悔しながら、それでも、慣性とは良く言ったもので、ペースを落とさずに最後の頑張りでぶっとばす。この期に及んで残り1キロをゆっくり滑っても仕方ない。そうこうする内にやっとニカロクタが見えてきた。
 ビジターセンターまでたどり着くと、その向こう300mのバス停にバスが見えている。観光バスの類だろうとは思いながらも、もしや復活祭の特別増便かも知れないと閃いて、建物に脇目もふらずに一気にバス停まで行く。運転手に「いつ出発するのかい」と尋ねると「5分後」という答えが返ってきた。なんと路線バスだった! 時に 12時10分。あわてて、スキーを片づけて、リュックと共に荷物室に入れ、最後の乗客としてバスに乗り込む。すでに満員である。いったいこのバスは何なのだろう?
 実は今日は土曜日なのだ。確かにゴールデン・ヰークの4連休ではあるが、休日は金曜・日曜・月曜で土曜は普通の土曜。そして土曜日に限って12時15分発というわけ。ちなみに休日は11時30分発で、平日は12時丁度発。その僅かの時間差のお陰で、ぎりぎり「1日2本」のバスに間に合った。最後まで頑張ると、時に報われる事がある。
 キルナに着いてアパートに帰る。アビスコ方面に向かうバスまで2時間あるから、アパートまでの往復を差し引いても1時間余り「滞在」できる。その間に荷物とスキーを交換して風呂に入って洗濯を済ませようというのだ。何と言う効率の山行きだろう。昨日こそ37kmに8時間もかかったが、それでも、バスを含めてキルナから12時間で310kmの大回りシンギ着を果たした訳だし、今日に至っては33kmを僅か3時間40分で抜け、そのあとは全く無駄の無い接続。シンギでの撤退の決断は実にタイムリーだったと言えよう。あの時、500mではなく50mで止めたのは全くの僥倖だった。
 もっとも心残りもある。せっかく大がかりな準備をしながら、山に入っていたのはわずか23時間55分で、1日にも満たない事。昨秋、土曜朝の気紛れで山に入って、そのままビバーク込み25時間の90km山歩きを敢行してしまったのに比べると、誠に呆気ない。すべては悪天候のせいだ。もっとも、今回の「山」滞在自体はこれで終わりにはならないから、不満と言うほどではない。
 4時間後、友人の「山小屋」別荘で飲む。電気は来ているが、他は何も無し。水すら近くの井戸まで汲みに行く。そんな掘っ立て小屋である。そこで初めて耳にしたのだが、今朝未明、救助ヘリコプターが悪天候の為に墜落したとか。詳しい情報を知るために、彼の母親のアパートまで行ってニュースを見る。ところが、復活祭は報道関係も休むと見えて、「予定」ニュースしかやっていない。今回の予定ニュースはもちろんコソボだ。
 あ〜あ、アメリカさん、とうとうやりましたな。あの悪い癖、まだ直らないとみえる。最近は「アメリカ軍」では世論が怖いと見えて「国連軍」だの「NATO軍」だの隠れ蓑を着ているが、その内実は世界中の誰でも知っている。ところで、爆撃が紛争をほんとうに解決したような例を私は一つも知らない(注1)。あのイラクだって何も良くはなっていないではないか。にも拘わらず、かの番犬は毎年のように何処かに噛みつく。さすが、歴史をないがしろにする国だけの事はある。それとも、本気で紛争解決を考えていないのかも知れない。単なるパフォーマンスとしての爆撃という訳だ。そういえば、かの原爆すら、ソ連への示威行為だったと聞く。とすれば、周りの国が「歴史に見習え」と忠告したところで無駄なのだろう。
 ニュースでは首都爆撃の被害の映像と、それに憤慨するスヱーデン市民の声をいつもどおりに載せて、いつまでたっても、山のドラマを報道してくれない。日本の報道機関も休みになると手抜きするが、こっちはもっと酷いらしい。最後のほうで、やっと30秒だけヘリコプター事件が流れた。何でも、トルネ湖の向こうの原野(もちろん道路なんか全く無い)にキャンプしていた親子が、強風でテントが燃えた際に火傷して、それを助けにきたヘリコプターが墜落したとの事である。結局全員助かったものの、救助ヘリが落ちるぐらいだから、今朝の嵐はいかにすごかったか推して知るべし。シンギでの判断は実に正しかったという訳だ。撤退の判断にまたまた自己満足して、山での2泊目を友人の別荘で過ごす。

1999年4月2日〜3日 「復活祭のスキー旅行」 山内正敏
追記。 翌日は雪嵐で、雪は昼にはやんだものの、その後1週間ずっと風の強い悪天候でした。山に籠もって好天を待っても仕方なかったという所です。

(注1:2004年3月):そして5年後、ついにコソボで大規模衝突が起きたのは御存じの通りである。それについてマスコミが殆ど何も書かないのも、これまた奇妙な話である。その後爆撃ならびに介入はアフガン(2001年)、イラク(2003年)と続く訳だが、さあ、どうなる事やら…。