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京都会議の問題点 (注1)

 最近「都市化に依る温度上昇」を温室効果(狭義の global warming)と勘違いしている論調をよく見かけます。これは(原因も影響も)本質的に違うので注意が必要です。で、どちらが本質的に問題であるかとなると一概には言えません。農業にとっては世界的な都市化の影響も深刻かも知れないからです。

(1)温室効果=二酸化炭素等のガスによって、地球から宇宙空間へ出ていく熱が少なくなる現象。
 これは世界的なものだが、その効果は(現在のシミュレーションでは)数十年に1C程度である。雲の安定化機能を考慮すればもっと少ないと言う説もある。更に人間が生物圏を破壊しない限りガイア機構 (一種の自然治癒力)が働いて、増加が更に抑えられる可能性すらある。というのも、過去の暖かい地球を記憶しているガイア要素(遺伝子)を活性化させるだけで良いため、進化の時間スケールより遥かに早い時間でガイア機構が動き出すから。

(2)都市化=局所的に熱が大量に発散される現象。
 これには化石燃料や(田舎から供給した)電力の使用による熱発散の他に、コンクリートジャングルによって太陽エネルギーが(光合成による吸収を経ることなく)熱に変換される効果が加わる。その意味においては、大規模な森林伐採(例えばアマゾン)も同様の効果を持つ。
 都市化が日本列島のような「気団の境界」(=大陸と大洋の境)で起こると、気圧配置によっては(特に季節風や高層風の弱い時に)暑い気団の中心位置を日本側に移動させる効果があって(周縁効果)、都市内部だけでなく地域全体の温度を一様に効率良く上昇させる。現在先進国で人口が集中しているのは大抵が大陸周縁部だからこの効果は日本に留まらないが、その効率、すなわち単位面積あたりのエネルギー使用密度を考えると日本は極めて高く、従って都市化+周縁効果が世界でも特に大きいと考えられる。この現象で心配になるのは、気団の境界(=雨域)を移動させて農業に影響を及ぼしかねない事で、しかも厄介なことに、この効果の計算は(天気の長期予報すらまともに出来ない現状では)原理的に不可能である。
 周縁効果の影響は局地にとどまらず、例えば日本列島規模の温度変化でも世界規模のジェット気流(のうねり)の位置や位相を多少変えるかも知れない。これはメキシコ湾流のみに頼っているスカンジナビアでは切実な問題で(海流が少し変わっただけでも気候は大きく変わる)、いくら都市が放出するエネルギーが太陽エネルギーに比べて極めて小さくとも現実には無視できない。
 都市化の悪影響は他にも考えられる。その例として、近年顕著になっている紫外線の増加であげられよう。これは多くの人がオゾン減少の結果と思い込んでいるが、実際の紫外線の増加はオゾンホールとは関係のない緯度(例えば日本やヨーロッパ)で顕著であり、ゆえに「フロンガス⇒オゾンホール⇒紫外線の増加」というノーベル賞ロジックの最後の部分が我田引水である(ロジック自体は嘘ではないが、現実問題として紫外線増加の本当の原因をいたずらに隠す「悪い」ロジックである)ことは明らかである。現実の大気で紫外線を一番吸収するのは水であって、本当はこっちを問題にしなければならない。都市化による水蒸気の減少が問題になる所以である(注2)。

 現在進行中の地球温暖化の原因という面から考えると、どちらの効果もあくまで可能性であって(注3)、それらが本当にどのくらい効くのかは全く不明です。たとえば温室効果の数値シミュレーションがいろいろありますが、いずれも未だに地形や海流すら近似的にしか考慮されていない未熟なもので、もちろん他の効果(例えば都市化や海水面汚染)は無視されています。正しいかどうかも全く分かりません。都市化の影響(森林伐採を含む)を、世界レベルはおろか日本列島レベルですら計算した人はいないでしょう。要するに、地球温暖化を起こすいろいろな要因のうち、どれが本当に重要なのかは分かっておらず、現在政治家に注目されている温室効果(それも二酸化炭素のみ)は単に一つの可能性に過ぎないと言うことです。ましてや、現在日本全土レベル(田舎を含む)で観測されている「温度上昇」の主因は都市化(+周縁効果)によるものとみて間違いなく、たとえば琵琶湖の温度上昇がちょっと報告されただけで「世界的な温暖化の現われ」とか、ひどい場合には「温室効果の現われ」とか騒ぎ立てるのは、見当はずれのご都合主義に過ぎません。
 地球温暖化議論で大切なのは二酸化炭素の量よりも(注4)、エネルギーの使用量(使用密度と総使用量)なのであり、或いは炭素をいかに生物圏の中で「循環」させるかであり、いかにガイア機構が効くようにするかであって、そういう立場からすると京都会議の条約(二酸化炭素の量のみを対象)は非常に危険なものです。というのも、地球規模での「エネルギー浪費」や「不完全な炭素循環」の問題が、他の事(二酸化炭素)にすり替えられているから。たとえば二酸化炭素を固定化させれば良いなどという発想が出ていますが、これこそ「ガイア/自然治癒力」の視点からすると暴論です(注5)。また、火力の代わりに原発にすれば良いとかいう典型的「すり替え」議論もありますが(と云うのも、放射性廃棄物の危険を棚上げして二酸化炭素のみを危険物質呼ばわりしているから(注6))、すり替え云々の前に出発点からして間違っていて、要はエネルギーを浪費せずに住める都市(例えば冷房のいらないビル、もっと正確に云えばエアコンを必要としないきれいな外気環境を復活させること)が大切なのです(注7)。そういう方面に一向に議論が向かわないのはどうしてでしょうか? まあ、京都会議で環境問題が話し合われたということ自体は良い傾向なのでしょうが…。
 愚見では、(緑を増やすという事は前提として、それ以外に)光合成をする屋根(瓦、セメント)を開発するに勝る解決策はないと思えます。今のバイオ技術なら夢物語でもありません。太陽電池の発想の延長では技術的に難しいのではないでしょうか(注8)。

1998年10月 山内正敏


 注1: 化石燃料の消費に伴う炭酸ガスが世界の問題になったという歴史的意義は決して減ずるものでは無いが、歴史的だからこそ本質から議論が逸れないように注意する必要があるので、ここに私考を記す。
 注2: しかるに、現在オゾン問題をやっている研究者達は、こんな簡単な事実を無視して、あたかもオゾンホールが一番悪いかの如き印象を世界中に与え続けている。オゾンホールが深刻な環境破壊である事は論を待たないが、それを強調しすぎては、一番の問題点から目を逸らしてしまう事になりかねない。
 注3: 現在までに知られている原因は、上記2点の他にもオゾンホールや海水面汚染、太陽活動など色々あるが、今の議論には関係ないので省略した。
 注4: もちろん我々はあらゆる化学物質についても(地球環境という立場から)心配しなければならないが、今の議論には関係ないので省略した。
 注5: 米国地球物理連合(学会)の新聞にすら1面に紹介されていたので、余りの不見識に腹を立てた私は下記(英文)のようなクレームを出しております。
 注6: あらゆる発電(厳密には近代人間活動すべて)は自然界に何らかの悪影響を及ぼすのであって、問題はその度合いである。「悪を悪と云って何が悪い」という発想では、小さな悪を駆逐して大きな悪を残す事になりかねない。ちなみに(私の住む)実験国家スヱーデンでは電力の3分の1が原発だが、これには新しい技術をとにかく試す実験精神もさることながら、「中立」の安全保障を考えている面が大きい。火力(石油)にばかり頼っては戦争に巻き込まれる可能性があるから、(事故の危険があっても)原発を併用するのである。要するに「安全」だとは言っていない。近年のスヱーデンでの原発廃止の議論には北海油田(天然ガス)の成果が多分にある。日本で原発が反対される理由の一つに政治家が平気で「原発は安全だ」と嘘をつく態度(要するに地元民を馬鹿にした態度)があるのは間違いなく、その嘘への反発が近年あまりに激しいので、今度は新しい嘘として「二酸化炭素よりクリーンだ」などというとんでもない議論がねつ造されたのだろう。成田空港闘争の教訓(これも地元民を馬鹿にした事に起因する)はあまり生かされていないと見える。
 注7: 必要以上の冷房等で電力を浪費している都会民が原発賛否の意見を主張しても説得力がないのはここにも起因する。
 注8: 最近は太陽光で直接冷房するシステムも出来ているらしいが、詳しいことは知らない。

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米国地球物理連合(American Geophysical Union)の新聞(EOS)の主幹に当てた E-mail
Date: Tue, 23 Mar 2004 14:49:33 +0100
Subject: on EOS article (p529 bottom) on November 7, 2000.

Re: Concern on storing of CO2 underground

Dear Dr. Spilhaus

After 1997 Kyoto conference on global warming, controlling the CO2 emission has become a central political issue for industrial counties. One method to control the total CO2 in the atmosphere is to sequestrate it to the underground (EOS, 7 November 2000 issue). I have a strong concern on this method and on the fact that EOS selected an advocative article on this method as the front page article without any concern.

To avoid misunderstanding, it should be reminded that "storing CO2 underground" is NOT "returning." For example, all plastic products originally came from underground in the form of oil. Nobody says that burying plastic underground a "return." The important thing is the form of the carbon. CO2 is the most oxidised form of the carbon, whereas the oil is the least oxidised form. Sequestrating any lower-level form (in chemical potential or energy) of the oil to the underground goes against the concept of "recycle" or "returning."

The "storing underground" method artificially "cuts" the natural cycle of carbon in the way that we destroy the possibility to decrease CO2 by enhancing the natural carbon cycle of biosphere (photosynthesis). In other words, this method sequestrates the carbon into an "unrecoverable" circuit for the nature. Unlike metal or uranium, carbon is one of the most important element in any organism, and nobody knows the outcome of cutting the natural carbon cycle. It might risk the human being more than the green-gas effect of CO2, even if the global warming were caused mainly by the green-house effect. Thus, the "storing underground" method is potentially dangerous.

Furthermore, this method benefits only those countries that do not put enough effort to reduce the usage of fossil fuel per person. In other words, "storing underground" is a method to "cease a symptom instead of removing the real cause of disease," because the ultimate cause of the global warming (= disease) is the over-use of the fossil fuel beyond what the biosphere can react it via the photosynthesis. By removing the "symptom" of increased CO2, the correct solution (i.e., stopping the over-use of the fossil fuel) could be postponed.

Under this circumstance, any advocative article on this method substantially works as a one-sided political article unless the article clearly mentions the potential danger of the method. The above mentioned article on EOS unfortunately falls into this category, and hence I strongly feel a political conflict against this article but never a pure scientific conflict. I do not claim against any scientific research of the underground CO2 deposit, but do have strong concern if the research is made to benefit one-sided political action which could be danger for the nature.

I would like to ask the EOS editor why the above mentioned article was selected on the front page of EOS without any concern on this method. In my opinion, it should not have been selected as the EOS article at all because it is no longer a pure scientific article which requires "politically neutral."

I believe that the entire science community is responsible for not promoting potentially dangerous method, and that it is our responsibility to express any concerns on potentially dangerous methods.

M. Yamauchi
Swedish Institute of Space Physics