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ケブネカイゼ登山と・・・ / 1997年7月

山内正敏

  1. かんかん照りの寒気に、羽衣をつけた餓鬼が登ってくる
     ・・・1番好きな山はと問われて、地元の山、これぞ不老長寿の秘訣・・・

 ありふれた文章技術の一つにクライマックスから書き始める法がある。山登りに例えると登頂直前の苦闘に当たる。山歩きならさしずめ最高峰での感想であろうか。邪道と言う人もいる。実際そうかもしれない。本記の場合だと「ケブネカイゼ山頂に着いたとき、時計は既に9時46分を指していた」と始まらねばならないからである。
 そう、澄み切った微風快晴も、高所恐怖症の極致とも言うべき景色も、スヱーデン最高峰(2117m)という一番人気の地点にいる事実も、にも関わらず見渡す限り人っ子一人いない清閑さも問題に非ず、今からどんなに頑張っても2時半の終バスに間に合わぬだろうと云う予測がさっきから影を落としているのだ。一番近い道路まで約30キロ、しかも日本の山路と違って露岩ごろごろ瓦礫ごろごろの悪路を、寝袋等の荷物を背負っての行程である。その悪路たるや、たとえば昨晩入山した際、ニカロクタ(バスの終点)からケブネ山荘(=標高700mの山宿)までの平坦部20キロを運動靴で急行したが、終始小走りだったのに3時間近くかかってしまった程だ。逆向きはどう急いでも2時間半が限界だろう。日本の山とは訳が違う。今朝は今朝で、早起き三文の得とばかりに5時起き6時発最悪9時登頂と目論んでいたのが見事に外れて、山宿から平坦部に約1時間、その後の登山に2時間半もかかっている。雪解け洪水の渡渉に(普通の運動靴で)難儀した事もあるが、岩瓦礫の標高差1400mに加えて前衛の禿山200m登り降りは馬鹿には出来ぬ。この分では下りも相当かかるに違いない。
 おっと、せっかくの仙境に無用な患い。我が人生を振り替えるに、今日この瞬間この場所ほどに素晴らしい眺めは無いのだから。
 上半身裸のまま稜線の根雪の刃の上に腰掛け(と云うのも立つのが恐いからである)、
 下を見れば背も腹も垂直300m以上の絶壁、即ち氷河の削り跡、あたかも割れた黒碁石、
 その先がクラック襞の見るからに恐ろしい氷河、
 水平に目を移すと東西南北いずれも夏山と氷河の縞模様が連なり、
   一昨年の裸行程・タルファラの氷河研究所が見える、
   近道の東ルート登山道が見える(でも誰もいないな)、
   昨秋の不覚・ケブネ丘が見える、
   遠くキルナが見える、
   もちろんニカロクタも見える・・・バス停までやっぱり遠いなあ。
俗人は仙境にあっても下界の事が気がかかるらしい。
 ああ、そうだ、日本人なのだから写真を撮らなくっちゃ。対象は360°のみならず、水平、斜め下、真下、近景、中景、遠景。瞬く間にスライド一本が撮り尽くされ、俗人ぶりを発揮する。フィルムはこの一本限りだが、帰り道に此処より良いところなぞ無かろうから、2 ~ 3枚も残せば十分と言えよう。葢しそれほどの景色ではある。仙人と天女が飛来して酒盛りしそうな所だ。
 氷河地形は、なだらかな坊主山(禿山で残雪なし)が時折氷河にスパッと切り落とされ、3匙食べかけたレストランのアイスクリームよろしく鋭いピークを残す。ケブネカイゼも例に漏れず。南側こそ坊主山で登りやすいが、東と北西から氷河にえぐられて頂上に近づくほど尾根が鋭くなる。
 スヱーデン最高峰はそれだけではない。瓦礫の岩山の頂上付近にだけ、禿頭のてっぺんから三角形の雪山が高さ50mだけひょいと飛び出して、その雪が・・・気流のせいだろう・・・いきなり厚さ数メートルの切り立った根雪を成す。光景としては全く奇妙だ。かくて短く鋭い雪尾根が生まれて、最後の4m(長さにして20m)は完全な雪の刃の切先となる。その先端が頂上。そこで体の向きを180°変えて戻って来なければならない。高所恐怖症にはちょっと難しい。
 切先の手前に荷物を置いて、20mを這うように進む。前に一度だけ来たときは濃霧の中だったから、盲蛇に怖じず、何とか頂上まで行けたが、こうも全貌がはっきりすると恐くて近づけない。いかにも崩れそうな雪の上では、10個積み上げた机の上に居るような心境になってしまう。もちろん毎日百人近くが訪れている様なピークに危険は無い筈だが、一人ぼっちだとどうしても勇気がでない。ついに5m前で断念した。まあ、高さにして頂上と1mも違わないし、君子に匹夫の勇気なんか必要ないし、第一誰も見てないのだからこれで「登頂」としよう。ただ、足跡だけは先端から腹に向かって数歩降りて、そこから絶対的鋭角の尾根を北峰(2097m)まで連なっている。ガイド・ツアーの跡だろう。ケブネ山荘の案内によると、16歳以上なら誰でも参加出来るそうだ。山登りの手軽なことよ。
 足跡といえば一月前の思い出がある。ノルウェー・スバルバード諸島はロングヤービンと云う北緯78度の町に初めて足を踏み入れた時の事だ。キルナが北緯68度、南極昭和基地が南緯69度、世界最北の大学のあるトロムセ(4年前に行った事がある)が北緯70度、アラスカ最北端ポイント・バロウが北緯71度だから、78度と云うのはとんでもない極地で、それ故に地学研究に欠かせないメッカとなっている。そこで十日間の研究会があった。喧嘩と火事が江戸の華なら、議論と珍奇は学者の華。派手なほど面白いのが口論と学説だ。それを満喫するため毎日サボりもせずに付き合ったが、一日の議論が果てて外に出ると、そこはさすが北緯78度、全くの昼だ。白夜の本家本元だけあって太陽は真横にしか動かない。会議場の入り口から人口六百人の町(それでもこの諸島最大の町だそうだ)の四囲を見渡すと、フィヨルドだけに見事な岩山群が、おいで、おいで、と呼んでいる。高さ僅か300 ~ 400m、往復に一時間とかからない奴ばかりだ。かくて、岩と云わず雪と云わず氷河と云わず毎日そこいら中を歩き回ったが、その熱意に天が答えたのか、あるいは研究会に真面目に皆勤した馬鹿さ加減に鬼神も呆れたのか、帰宅予定の13日金曜日、濃霧で飛行機がキャンセルとなって丸一日ぽっかり空いた。近くて一番高い山に登る絶好のチャンスである。熊が恐いと人は云うが、それは単独または2人だけの場合で、大パーティーは襲われない。幸い志願者は多い。煙とナントカは矢張り高いところに登りたがるらしく、十分な人数が早くも一時間前に先行してくれた。こっちは足跡を辿るだけで良い。
 残雪の柔らかい崖斜面を強引に尾根まで登ると、そこは両側がフィヨルド崖の狭い雪尾根で、他に安全な下山路が無い限りとても進めない一方通行の世界だ。そこを力づけてくれたのが先行者の足跡である。ひたすらそれを信じて前に進む。足跡無しには7割方断念してただろう。30分後に1050mの頂上を極め、先行6人に追いついた。6月中旬でも完全な冬山で、雪の芸術と雲海越しの眺望が素晴らしい。過去最高かも知れないその仙境は、同行した某日本人をして「これであと一年は厳しい徒弟奉公に耐えられる」と認めさせた程だった・・・もっとも「人生最高」のタイトルは今し方あっさり更新されてしまったが・・・。下りは氷河のプロと一緒だから気が大きい。安心して滑り降りる。氷河というのは歩くとクラックに足を踏み入れる事もあるが、断面積を大きくして滑る限り大丈夫らしい。最後は群集心理を味方に、雪の半分融けかかった沢を皆で駆け降り、かくて往復5時間の山登りを楽しみ尽くしたが、これもすべて足跡のおかげだ。
 その足跡が今、点々と向こうのピークまで続いている。度胸と注意力さえあれば行けない事もあるまい。でも、この眺望では勇気が出ない。登りならともかく、下りの尾根刃を単独かつ無装備(杖・つるはし無し)では不安が大き過ぎる。一旦滑るや絶壁が待ち構えているのだ。先月の山とは違う。あそこなら、たとい足を踏み外しても、雪まみれ水まみれの泥まみれになって氷河の麓まで滑り落ちるだけの事だったろう。怪我するとすら思えない。でも、ここだと泥や水の心配こそ無けれ、滑り出したらドン・ジョバンニの終幕よろしく命があぶない。しかも軟雪である。撤退の決断に1秒もかからず、滑り落ちないように足場を確保しながら体の向きを変えた。
 真下のケブネ丘に目を遣る。前回の敗退の思い出が滲む。昨秋、近道の東ルートから行って、悪状態の氷河と氷ツルツルの垂直岩場にやむなく断念したのだ。幸い、景色が抜群だったお陰で、ケブネ丘への変更に悔いはなく、否、多いに満足して下山したものだったが、それでも撤退と云う事実は事実で、それが今回の登頂を促した事は否めない。一旦失敗すると同じ条件で成功するまで執拗に再挑戦すると云う意地は誰でも持っていよう。その同じ条件が今ある。荷物にせよ、慌ただしい準備にせよ、昨秋の会議の腹いせという心理にせよ・・・。そう、研究所主催で国際会議を開いた事が前回と今回の登山の一番の動機だ。
 スペース物理なんてやっている研究者は少ないから、スヱーデンで会議を招集しようと思ったら無条件に国際会議になってしまう。すると人数が増える。昨秋の田舎会議ですら米国の30人余りを筆頭に14カ国から約百人参加した。百人規模となると、その General Secretary(邦訳は右が幹事長、左が書記長、趣味活動が事務局長で、正直に雑用係と訳す事は珍しい)たる者の仕事は大変になる。宣伝、会場の予約、予稿集作り(投稿の書式や手段が様々だから編集に時間を食う)、共催機関との打ち合わせ、予算管理、ホテルの確保と予約(これは秘書が半分手伝ってくれた)、ロシア人等への経済的サポート(この通称「ロシア対策」が一番大変で、準備の殆どはこれに費やされる)、金銭補助に関するトラブルの処理(在米非西洋人に問題が多い)、プログラムの作成と講演依頼(世界中に会議が多すぎて、中々首を縦にふってくれない)、7つもあるパネル討論の企画(斬新な試みで今回の目玉商品)、全ての到着便の空港出迎え(本来なら大学院生の仕事だろう)、自身の発表3件(無謀・・・)、オーロラ観光ガイド(キルナならではと言えよう)、ハイキングガイド(これは仕事と云うより・・・)、書記、諸々の雑用係、その他色々の仕事を、主催者でもないのに殆ど一人でやってしまったのである。主催者の仕事は予算を取ってくる事で、こんな雑用ではない。かくてストレス解消の必要(腹いせと言うより何となく高級な響きがするが、同じ意味である)を猛然と感じて、会議の終わった翌日には既にケブネ山荘に向かっていた。それが昨秋。
 それでも会議開催中と言うのは登山に例えれば山頂にあたる。一点の目標に向けて怒濤の様に登って来たという達成感から気分はハイだ。会議室での景観(皆が熱心に議論している様子)も実に快い。しかるに会議の仕事はそれだけではない。会議報告なる記事と論文集を出さなければならない。実はこっちの方が根気と時間のかかる大変な仕事なのだ。しかも愚の骨頂とも言うべきは、論文に査定を付ける事にしてしまった事。ロシア人など、非英語圏の連中の論文ばかりだから英語が酷い。当然、何度も修正を依頼することになる。山で言えば、豆足に鞭打って長い下山路を黙々と歩くようなものだ。散々な目にあって、このほどようやく論文集の編集作業が終わった。山に登りたくなるのも当然といえよう。
 昨秋の思い出から現実に還り、荷物のところまで戻る。と、蚊がいる。せっかく蚊のない世界を求めてはるばるスヱーデン最高峰までやってきたのに、悲しい哉、蚊はやはり存在し、まとわりつき、血を喰らう。況んや下界でをや。それは「名所」アラスカの比ではない。昨晩なぞは立ち止まった5秒後に百匹以上の蚊に攻められ(アラスカなら1分かかる)、場所によっては走っても走っても蚊 の「雲」から逃れることが出来なかった。恐ろしい世界だ。気候はキルナ滞在過去7年で最高の夏だが、蚊に関しては最悪と云えよう。
 やがて汗が引けて涼しくなったので半袖のTシャツを羽織る。いくら真夏の快晴でも、北緯68度の標高2000m・朝10時では気温は10度を超えない。ついでに雨合羽のズボンもはいて、高さ50mの雪台地をそろそろと滑り始めた。歩いて降りるなんてもっての他で、これが一番安全な下り方だ。瓦礫の大地にしっかり足を踏み締めて、漸う今後の予定を考える。

  2. ランダムウォークによる新規開拓、雪に酔い、夏に酩う
     ・・・何処に行こうと、こっちの勝手だろう?・・・

 優柔不断な人間が良く使う方法に二分割消去法がある。選択肢が甲乙丙丁と沢山あるとき、ぎりぎりの所まで判断せず、分岐点が現れた所で可能性(好み)の少ない方を切り捨てる。例えば単独での可能性(好み)が甲40%乙25%丙20%丁15%の時、もしも一回目の分岐点で甲にするか乙丙丁のどれかにするかの選択を迫られる状況になったら、4対6で迷わず甲を捨てるのである。次に乙にするか丙丁にするかの分岐点が現れたとすると5対7で乙をも捨てるのである。一見合理的に見えて、結局悪いほうから二番目の選択をする事が出来るので、政治家や評論家が世論操作するとき等に良く使われる。
 そもそも、今回の山行きに関しては方針と言うものが全く無い。昨日の朝、突然「週末は山に行くぞ」と思い立って出勤前の1時間と帰宅後の20分だけの準備で家を飛びだし(それでも洗濯からパッキング、山宿への予約に至るまで済ましている)、その10分後にはニカロクタ行きの終バスに乗っていた。もちろん忘れ物も二重に持ってきた物もある。気にすべからず。そのくらいの即断即決でないと土曜日にケブネカイゼ山頂で絶好の天気に恵まれるという幸運は射止められない。予定は全て天気次第に元気次第、食料次第で変えるべし。そんな具合だから、山路を歩き出しても方針が決まらず、もしケブネ山荘まで20キロが快速に行くようなら、予約をキャンセルして更に15キロ先のシンギ小屋まで足をのばし、その勢いで、今日一気にアビスコまでKungsledenを完走しようとすら目論んでいたのだ。
 Kungsleden(クングス・レーデン=王様の山路)は、北欧で、否、世界で最も著名な自然歩道で、道路はおろか電気も通じていないU字谷の小路でありながら、十数キロおきに安くて誰でも泊まれる山小屋(宿泊を拒む事が出来ない建物)が完備しているため、北欧のみならず、中部ヨーロッパからも多くのハイカーやスキーヤーが休暇を楽しみにやってくる。そのうち一番人気のルートがニカロクタ⇔アビスコの110キロ(スキーだと105キロ)で、5年前に一度だけスキーで行って以来、毎年想いを寄せてきたコースだ。行きたくても中々行けないと云う事は往々にしてあるものだ。だから、昨晩こそケブネ山荘止まりになったものの、それでもKungsleden完走への未練は断ち難く、ケブネカイゼ登頂に予定を絞った今日になっても頭の片隅にこびり着いている。
 実は一週間後にこのコースを2人だけで競争で歩くという企画があるのだ。たった2人でも競争は競争だから、やれば「第一回」と云う歴史になる。昨今のスーパースタミナ・レースの流行からして、第二回、第三回と回を重ねるのは自明だろう。となると個人の歴史でなくコミュニティーの歴史だ(注:本当の意味での競技会は9年後の2006年に Fj"allr"aven Classicとして始まった)。「第一回」は響きが良い。科学者は新しい事を始めるのを無上の喜びとする。訳の分からない学説が世の中を飛び回るのもこの性癖に由来する。昨秋の国際会議だって「第一回」アルベーン会議と云うのだ。それを開くにあたっては、もちろん既存の会議の難点・問題点を吟味した。下見をしたいと云う欲望は常にある。
 それはKungsledenでも同じ事、ともかくケブネ山荘からアビスコまでの90キロは夏に歩いたことが全然ないのだから。しかも路がくせもので、平坦な谷コースとは云え、その悪路ぶりたるや到底並のジョギングシューズで行けたものではない。昨年、或るスヱーデン人が家からヒマラヤ中腹まで単身サイクリングして、そこから無酸素・シェルパ無しでエベレストに単独登頂したが、その彼が数年前にニカロクタ⇔アビスコ110kmを挑戦して16時間かかったそうだ。スーパーマンですら平均時速が7キロに満たないのだから、どのくらいの悪路か想像出来よう。一番整備されているニカロクタ⇔ケブネ山荘20kmとて、7月は冠水・露岩・大瓦礫・泥の連続で、現に昨日もネンザして転倒したほどだ。これが昨晩のケブネ山荘止まりの一因にもなっていて、右腕には名残りの傷まである。もっとも、乾燥したこの地で多少の傷は大した事はない。日本なら必ず化膿する傷でも、清流で傷跡を洗って放っとけばすぐ直る。傷はともかく、それほどの路だから下見の必要は重々感じる。しかし、このコースに専念するだけでも大変なのだから、ましてやケブネ山頂まで寄り道して、ついでにアビスコまで行くなんて事は、週末だけの山行きでは思いもよらない行為だろう。故に今朝すっきり諦めたのだ。
 それが皮肉にも終バス絶望的という状況のもとに頭をもたげてきた。天気良し、体力良し、食料十分、着替え十分。昔の日本ならこれに懐具合が加わる処か。条件が揃って、選択肢は多い。
(イ)間に合おうが間に合うまいが、バスを目指してニカロクタまで急ぐ。
    終バスには絶望的でも、ヒッチハイクという手もあるから、一週間後の大レースに
    備えて明日の日曜をじっくり静養に当てるのが順当ではあろう。
(ロ)下山してタルファラ小屋(=標高1200mの山小屋)に向かう。
    ケブネ山荘から北に8キロ。ニカロクタまで25キロ。氷河を満喫するならここが良い。
(ハ)ケブネ山荘に戻って、そのあと身近な所を散策する。
    スヱーデン人の山友達を作るには一番良いが、今日のベスト・チョイスではない。
(ニ)シンギ小屋(=Kungsleden途上の山小屋)に向かう。
    此処からケモノ路を奥に14キロ入ったところ。そこからだと、ケブネ山荘まで
    Kungsleden沿いに15キロだから、今日中に十分行ける。
(ホ)シンギからKungsledenをケブネ山荘に向かい、そのまま一気にニカロクタへ向かう。
    シンギからニカロクタまで35キロだから、急げば今日中に着くかも知れないが、
    夕方遅くなろうからヒッチハイクは難しい。でも一部下見が出来て、かつ遅くとも
    明日昼までには家に帰り着く。
(ヘ)シンギから北へアビスコに向かって行けるところまで行く。
    夢。否、夢にも思ってはいけない。気の遠くなる様な距離で、地図を広げたら絶対
    やる気がなくなる。可能性として思い付いたのはきっと魔が差したのだろう。
 頂上に着いたと云う安堵はあらゆる思考を物憂くする。せっかくの良い気分にこれだけの選択肢を考えるのは面倒なばかり。昨秋の会議の後も2週間ばかり頭が何も受け付けなかった。同じ原理だ。結論を出さずに降り始める。普通の山なら歩くうちに考えがまとまるものだ。しかるにこの坊主山は並の石渓より岩が多いので、歩きながら考えるなんてとても出来ない。意図するとせざるとにかかわらず二分割消去法を採用する羽目となった。
 一回目の分岐点は山頂小屋(1900m)付近。ここで近道の東ルートと今朝の西ルートに別れる。(ニ、ホ、ヘ)なら西ルートに向かわなければならない。では(イ、ロ、ハ)は? これらは東ルートが良いが、西ルートでも遠回りと云うだけで悪い訳ではない。あまり考える事もないまま、今後の選択肢の多い西ルートを採る。そこから半時間ほど急斜面下りと格闘すると次の分岐点だ。前衛禿山とケブネカイゼの間の鞍部で、この谷に沿って降りればシンギ谷に合流し、さらにシェクシャ谷に合流する。その落合がシンギだ。ここが思案のしどころ。
 当初の予定(イ)「真っ直ぐに家に帰る」は、冷静に考えれば一番まともなチョイスだが、心理的弱点も多い。第一に荷物が全部ここにある。今朝荷造りをしたとき、寝袋など登頂に不要な物を置いていく積もりで一旦パッキングしたのを、いや全部持って行っても大差あるまい、とわざわざ詰め直して全部持ってきたのだ。使いもしないものを大量に担いで山頂⇔ケブネ山荘単純往復するのは気が引ける。
 第二が今朝の早起き。これが全くの無駄になってしまう。バスに間に合う訳でもないのに、ケブネカイゼ往復の為だけにわざわざ5時起き6時出発は正気の沙汰ではない。しかも昨夜は緊張で2時頃まで寝つけず睡眠不足なのだ。バスに間に合わないと知っていたら7時までゆっくり寝ていた筈だ。もっとも、昨年なんか欧州日本の時差の苦しみの中、丸3日ほとんど寝ずに富士登山競争を完走したぐらいだから(とは云えタイムは散々で麓から4時間もかかったが)、今日程度の寝不足では肉体的に問題はないが、心理的マイナスは大きい。
 ヒッチハイクに頼るのは今回は避けたい。これには訳がある。今年から汽車及びバスの時刻が非常に改悪されたと言う事情だ。改正ではなく改悪。キルナから北西に向かってアビスコ方面は、朝7時キルナ発・夕方8時キルナ着の「山」列車が廃止され、キルナ発一番が11時半・キルナ着最終が5時となっている。西向きニカロクタ方面だと、朝5時半キルナ発・夕方6時半キルナ着のバスが廃止され、キルナ発一番が午後1時・キルナ着最終が3時半である。到底日帰りが不可能な時刻割りと言えよう。幸か不幸か車は春の事故で大破して以来まだ買っていない。要するに最悪の条件が重なっている。
 しかるに必要は発明の母と云う。条件は不利なほどに挑戦意欲が掻き立つ。今回の山行きにあたって、この時刻割りでも車を持たなくても存分に山は楽しめるのだぞ、と云う気合いが体を大いに奮い立たせているのだ。しかも、バスで来ているからこそ、入山した同じところに帰る必要がない。これがバス・汽車の最大の強みだ。ニカロクタ単純往復ではそれが全く生かせない。アビスコと云う夢想幻想は此処にも由来する。
 駄目押しが、既に西ルートを辿っていると云う事実である。このまま遠回りコースで帰ったのでは、さっき東ルートにしなかった事が後から悔やまれよう。否、今だって今朝東ルートにしなかったのを悔やんでいるのだ。昨秋敗退したばかりのルートなので今朝こそ避けたが、山頂から見る限り安定した氷河路がくっきり浮き出て如何にも楽な下山路となっている。このコンディションでケブネカイゼ西ルート単純往復は馬鹿の2乗、間抜けの3乗。ケブネ山荘に戻る意味が無い。元はといえばさっき東ルート解を無条件に捨てた二分割消去法のせいである。そして、その二分割消去法をここで再用するなら、このルートは逸脱しなければならない!
 鞍部で足を西に向け、(イ、ロ、ハ)への未練をすっぱり切ってしまった。今日じゅうに帰ることを諦めると突然価値観が変わる。山に2泊もしてシンギ方面に行かない法はない。当たり前ではないか。ケブネ山荘に荷物を置かなかったのは僥幸だった。現在の選択に大いに自己満足する。が、その後をどうするか。
 一つの極端解(楽)が消えた瞬間は得てして反対の極端(苦)がクローズアップされる。たとえばアラスカに留学したきっかけが正にこれだ。当時、日本の理学部は軒並みオーバー・ドクター問題が深刻で、現実に考えうる一番良い就職先は国立機関の研究職だった。その話が修士2年の秋に突然持ち上がったからこそ、それを捨てた反動で海外に出た。これがなかったら恐らくは京都にそのまま残っていただろう。石橋を渡らないと決めたら、たとい泥沼にはまろうとも最短コースを取りたくなるものだ。中途半端な賭けは性に合わない。
 既に脳味噌は「明日昼までにアビスコにたどり着くには、今日アリスヤーレ小屋・・・アビスコから35キロ・・・まで行かなければならない」と直感している。否、アリスヤーレ小屋までなら今日中に無理なく行ける筈だし、そうすれば明日の行程を含めて僅か2泊2日で山頂経由のKungsledenが完走できる筈だと信じて疑わない。壮大な目標であり、達成されるやキルナの連中にすら大いに自慢できる類の計画だ。今朝の早起きが十二分に活かされる解でもある。選択は既に終わっていた。始めから無かった。たまには地図を見ずに超楽観的予定を夢想するのも良い。

  3. 夏の冬の旅、水車屋のどら息子、さすらう大人の歌
     ・・・そんなにはしゃいで、本当にたどり着くの? さあね・・・

 ありふれた文章技術の一つに、一番損したと思った経験から書き始める法がある。山歩きの場合、雨宿りのタイミングを間違えたとか、バスまで4時間待たねばならないとか、森の中でわびしく休憩した直後に眺めの良い場所で好感の持てる娘が一人休んでいるのを見かけたとか(そこを軽い挨拶だけで勢い良く通過するところが山馬鹿の山馬鹿たる所以だが)、そんな経験を書くのである。邪道と云う人もある。本記の場合だと「畜生、滑り降りた跡があるじゃねえか、この雪斜面から来りゃ、あんな苦労せんでも良かったんや」と始まるから、確かに分かり難い。
 ・・・さっきなんか雪に片足ハマッちまったもんな。ズボッと行った瞬間、雪が氷に固まって、抜き出そうにも抜けへん。幸いスキー手袋で来てたから霜焼け作らずに掘り起こせたもんの、すぐ横の渓谷は雪解けの急流が流れよるし、今にも雪棚ごと落っこちそうで、いやーな感じやった。そら、上流は極楽やったで・・・遠く2時間半前、前衛禿山やっと越えて谷間の残雪踏みしめたら、チョロチョロと何とも可愛らしい音が割れ目の下から聞こえて、これぞキルナで最も純粋な零度の氷水やと、思わず荷物を置いて喉と心を洗ったもんな。つい15分前に山頂からやっと戻ってきたときも、そのままの風情やった。まるで子供の純粋さ、そんな感じや。ところが、それが此処まで来るってえと、流れもえろう成長して、ティーン・エイジャーやあらへんが、すさまじい轟音たてとる、ちょい避けたくならあ。そやけど雪の上の魅力には逆らえん、楽で、速うて、脇見も出来る。これを丘に上がったんじゃあ、岩と瓦礫の路無しで、河童より割悪りい。ネンザ・転倒・スリップの危険ばっかしや。そんなん、山頂からこの谷までの下りで、もううんざり。普通、残雪の厚さ・硬さは信頼出来るっちゅうから、たとい0℃の水に踏み込む心配があってん、路無き瓦礫の谷は雪の上が絶対にええ。そやから鞍部から本道無視して、気持ち良う・・・実に気持ち良う雪の上を半ば駆け降りきたんや。そしたらこれや。雪の落とし穴に引っかかっちまった。
 でもまあ、そんなこたあ、まだええ。問題は荒れ狂う川の反対側に来てもうたっちゅうことや。いま地図見て初めて気付いたわ。このまま行ったら崖っぷちの行き止まりい。しゃあないんで、穴ぼこだらけの雪棚を戻って、恐る恐る川渡って、瓦礫を登って、やっと隣ん谷に入ったら、・・・なんともまあ、突然斜めに大きな残雪の斜面が見えるやないか。腹立つう。山頂小屋から今まで40 ~ 50分の悪戦苦闘も、始めからこの残雪を滑り降りりゃ回避出来たんに。地図にもそれが正しいと書いとるしなあ。全く、馬鹿みたい・・・これも、最後の最後まで今日の方針が決まっとらんやったからいかんのや。もう迷わんで!
 さあってと、ひたすらこの谷を降りればええんか。絶対的目標があるっちゅうんは楽やわ。それにしても、すげえ雪原やな。残雪なんて北斜面に残るもんや思うてたら、斜面が急過ぎるか知らん雪も積もらんらしい。代わりに谷が真っ白で、こらええ、歩き易しい。そら、今日は天気やから、雪が柔くて靴がズボズボ濡れるけど、この速さには替え難てえ。蚊も少ないしな、・・・雪虫はじゃかすか居るけど。
 おっ、人が見えるぞ。今日初めてや。「ヘイサン!」「ヘイヘイ!」・・・と、時計見りゃ、もう12時やないか、休もうっと。飯はさっき頂上で少し食ってるから今はええが、このせせらぎの水は飲まなきゃ損やろな。それにしてん、遠いわ。何で下りの癖にこんな時間食うっちゃろ。十万分の一の山地図のせいかなあ、距離感狂うもんな。U字谷ちゅうのも距離感狂うしなあ。地図じゃどうなってんやろかいな・・・あいや、確かに5キロに1時間半もかかっとる。遅いのは錯覚じゃねえ。急がなならん。

  4. 陽光、せせらぎ、花畑、珍種に新種
     ・・・君の趣味じゃあないか? そんな暇あるか!

 ありふれた文章技術の一つに、一番の極楽状態から書き始める法がある。山登りに例えると尾根路を闊歩している処に当たる。邪道と言う人もいる。本記の場合だと「緩やかな下りの雪路の上、何も考えずに先人の足跡を快速に歩く。切り立つ山と夏の紫外線をバックに、厚く眩しい積雪の下から渓流が時々顔を覗かせる。その風情に負けて、ついに最後の一枚の写真を撮った」と始まる。
 やがて谷は西から南にゆっくり曲がる。いきなり冬の旅の音楽が終わって、まばらな残雪がツンドラ草原と岩場に入り混ざる光景となった。春先の低い太陽でも日当たりの良さそうな谷だ。その日差しを受けた小川が細かく分流しつつ谷いっぱいに広がっている。花が咲き、山がそびえ、せせらぎが聞こえる。ムーミンでも住んでいそうな・・・テントを張ってキャンプがしたい!
 桃源郷はいつも短い。直ぐシンギ谷にT字で落ち合って西へ曲がる。谷こそ広けれ、岸が削れているのでケモノ路は狭い斜面を連なる。脇見しては足を踏み外そう。風物を楽しむ余裕は無い。登ったり降りたり残雪を横切ったりして、ようよう広々としたシェクシャ谷に出た。ここから南に3キロほど下った所が懐かしのシンギ、五年前のスキー旅行で泊まった所、あのとき青息吐息でたどり着いた追分だ。
 Kungsleden自然歩道はそこ(シンギ)で二手に別れる。75キロ北の起点アビスコからはるばるやって来た人は、大抵そこで東に曲がってニカロクタ方面に向かい、それを以てKungsleden完走とする。故に山小屋の料金も全スヱーデンでこの区間だけ他地域より3割程高い。しかしこれは支道に過ぎない。本道は南へ延々350キロ続く。だから、途中で一般道路に交差する事もあり、近い所では南40キロのバッコタバレ小屋で田舎道に出る。そこはストーラ・シェファルト(大瀑布)国立公園に位置し、近くにはその名の通り北欧最大の滝があるし、アッカ山(2013m)の姿も拝むことが出来る。この山はラップランドの女王と崇められる、子供と山小屋の守り神だ。ただ、滝の方は今は水力発電所になっているので、往年の雄姿は年に一度水門が開く日にしか見られない。
 シンギより南は未踏の地だが、バッコタバレ小屋だけは二週間前に行ってきた。キルナの西ほんの百キロほどで、ニカロクタからだと山路75キロしか無く、自転車で簡単に行けそうな距離だが、実際に行こうとすると生半可にはたどり着かない。キルナから、まず東(正反対)へ50キロ、次に南 (円弧状に迂回)へ60キロ、更に西南西(斜めに近づく)へ55キロ走って、やっと谷に入り、そこから田舎道が真っ直ぐ百キロ以上ある。総計270キロ。特に最後の20キロは、舗装が剥げている上に起伏が猛烈に激しい。U字谷を一つ南に行くと云うのは大変な事なのだ。そんな距離とはつゆ知らず・・・と云うのも道路地図にすら谷道の距離が書いてなかったからだが・・・土曜朝の絶好の晴天に誘われて朝8時に家を出たが、強い南風に散々悩まされて、120キロ地点のエリバレ市でやむなく1時間の休憩、更に頑張ってやっと谷に入ったものの、時刻は既に夕方4時で、それまでの165キロの向かい風行程に体は消耗しきっており、待望の追い風も、時すでに遅くピークを過ぎて7時には完全に凪ぎ、あえぎあえぎ、夜10時やっとバッコタバレにたどりついた。270キロ行程は4年前に一度やった事があるだけ。あの時はスポークが6本も折れた苦しみがあるが、中間点までは追い風の快走で帰りもラスト3分の1は凪ぎだったから、実質的な「風」修正距離は2週間前のほうが遙かに長い。荷物だって、宿泊覚悟の2週間前のほうが寝袋等多かった。それよりも何よりも酷かったのは、エリバレから先の150キロの間に店が全然無いと云う事。なんでも、この辺りの店といえば更に35キロ先の道路終点に小さい売店が1つあるだけという。そんな、アラスカですら珍しいような事を、誰が予想出来よう。地図には地名がたくさん付いているのだ。ただ、それがどれも単なる地名に過ぎないだけ。幸い、スキーで鍛えたスタミナが十分にあり、しかも一泊+往復300キロ行程分の食料を持って来てたから良かったものの、さもなくば翌日は1日1本の早朝バスに頼らねばならないところだった。
 水補給はもっと大変で、エリバレを出てから国立公園までの135キロというもの、マトモな清流がない。小川こそ流れているが、6月前半までは雪解けの茶色いアブク水で、7月後半だと涸れる果てるから、湖の水でも飲む覚悟でなくば(飲める事は飲めるが)このコースは到底不可能と云えよう。2週間前に90キロ地点の川の水が飲めたのは僥幸と云わねばなるまい。Kungsledenとは雲泥の差だ。それほど大変なコースにも拘わらず全270キロを14時間で走れたのは、たまたまこの日に一般向けのサイクリング大会が逆向きコースながらも行われていたから。全長180キロの無人境コースだけあって(それでも、ごく普通の小母さんたちが、ごく普通の自転車で参加していた!)、給水だの給食だののサービスが沿道にあり、当然ながら(!)そのお世話になった。参加者だけにしかサービスしないなどと云う狭量な発想はラップランドにはない。エリバレから80キロ地点でのパスタと水は本当に有り難かった。
 大会にはアマチュアのトップクラスから普通の小母さんたちまで参加しているから、走っても走ってもレース参加者に出会う。25キロ地点で先頭に会って、最後尾が80キロ地点。こういうのは最大の励みだ。さもなくば、10時には到着出来なかったろう。もう一つの励みがトナカイ。夕方8時半頃、数百頭の群れに遭遇した。今まで見た中で最大の群れであろうか。それが道路を全面占拠している。自転車なんてやわいから、トナカイの一頭がぶつかって来ただけでも転倒する。あわてて減速した。でも怯えるのは連中も同じらしく、カメラを取り出すゆとりがあればこそ、いきなりバラバラと将棋倒しの如く、最後は脱兎の如く土煙を上げて林の中へどーっと逃げ出した。すさまじい迫力だ。良いものを見させて貰った。
 翌日は朝10時から夕方6時まで曇天+夕立+逆風(ラスト40キロだけ追い風)の中を独りぼっちでエリバレまで150キロ走り、さすがにもういいやと云う気分になって、その先せっかくの猛烈追い風を捨ててバスで帰った。とても景色を楽しむどころではなく(とはいえ、国立公園3つが連なっているだけに見事な景色だった事はたしかだが)、ただ朝方、狭い崖路で角の見事なトナカイ数頭に出会い、道路沿いに逃げる連中を無謀にも追い立てて2キロほど並走したのが面白かったばかりである。
 一口にKungsledenと言ってもこれほどの広がりがある。だから、いずれは南にも行ってみたいが、ハイペースを維持することに専念している今、そんな雑念は全然沸かない。ひたすらアリスヤーレ小屋に向かうばかりだ。道の平坦なのを良いことに、3キロほどKungsledenの本道に平行にツンドラ草原を歩く。一応近道のつもりだが、急がば回れとも云うから、歩き難さのマイナスで実質は損しているのかも知れない。まあ、どうでも良い。細事とはこんな事を云う。広々とした草原とさんさんと照る太陽、遠くには白と緑と岩色と滝の入り混ざった山々が見え、見渡す限り人はいない。しかも前人未踏の世界を独りぼっちで歩いている様な、いかにも本物の科学者になったような・・・あれ?・・・気分だ。シェクシャ谷のような壮大なU字谷に立てば、誰だって細かい事は気にならなくなろう。現代人に欠けている一番の大事かも知れない。もっとも、この景色を楽しむ余裕はない。粒子の視野(衝突断面積)は速くなるほどに狭くなると云う。脇目もふらず遙か彼方の小屋に向かう。但しただの小屋ではない。見覚えのある小屋、そう、5年前、シンギ目前と云うのにスキーを脱いで午後の牛を演じた、あの懐かしの場所だ。今日だって「予定」と云う厄介物に縛られなかったら、猫のように寝そべってみたい。回りの色こそ違え、風情はあの時と少しも変わらないのだから。
 草原を踏み分けること30分ほどで吊橋に着いた。出発後8時間にして、ようやくKungsleden本道に合流した訳だ。例の小屋は既に無視されて後方にあり。橋の下では渓流が雪解け水を集めて波打っている。それは北斎の世界。近景遠景は峡谷と広谷と雪山と草原。それは南画の世界。景色の三要素・・・岩山と水と緑・・・が四方を覆い、そこに快晴の光が加わる。いったい誰の世界だろう。
 合羽のズボンをジョギングショーツに着替える。昼の暑い盛りだけに、蚊はほとんどいない・・・ほんの数十匹だろうか。時刻は2時に近い。先ほどの楽観的予定ではセルカ小屋2時、シェクシャ小屋4時半のアレスヤーレ小屋6時であったが、既に一時間ほど遅れている。セルカ3時、アリスヤーレ8時と修正して、幅数キロのU字谷の真中を北に向かう。人には全く会わず。

 5. 山より団子。粉末は雪よりも白く、肉は岩山より力強い
     ・・・人が多けりゃ食い物にも困るまい、と山姥も言ってたっけ・・・

 新興宗教に引っかかるような純粋人間が物事の判断基準としてよく用いる方法に単純2分割法がある。神と悪魔だとか、赤と黒とか(おっと、これは1972年に消え去ったな)、小選挙区制度とか、構造と力とか(これは本のタイトルだが・・・)、相撲の関取表とか、そんなものである。大抵の物はそのどちらにも所属しないし、それどころか座標軸が全然違うのが普通だが、それでも関取表だけは便利なので誰もがこれを強引に定義する。
 セルカ小屋に山食料が売っていると云う噂は本当だった。しかも品揃えの豊富さたるや、日本の山小屋の比ではない。パンこそなけれ、オートミルに、スパゲッティ、ビスケット、砂糖、干し果物、ジャム、飴、チョコレート、スープの元、ブルーべリースープ等のエネルギー粉末、缶詰、ジュース、その他諸々の食品、ひいては袋ラーメンや缶ビールまでも!よくもまあ、これだけの種類の山食料が存在するものだ。日本に無いものも多い。盛んだからこそ作られているのだろう。さすが世界一の本場だけの事はある。早速、チョコレートとビスケットとブルーべリースープ(の素)とスポーツドリンク粉末とオートミルと干し果物(の詰合袋)を買った。締めて1300円なり。一番近い道路まで50キロ近くある場所にしては非常に安い。これも世界一の本場なればこそだ。
 もっとも、万全の品揃えとは言い切れない。日本民族にとっての肝心かなめが3つほど足りない。赤飯と梅干しと干しパイン。これに煮込み肉を加えた4種の特別食は、サイクリングと云わず山歩きと云わず、過去の経験からして究極の携帯スタミナ食だ。もちろんこれは自分一人の個人的経験にのみ基づくが、勝手に日本民族に拡張しても不都合はあるまい。
 買ったばかりのチョコレートを頬張りながら水筒を飲み干して、そこにブルーべリースープの素を入れる。チョコレートの特効作用は一日一回限りだから、一番のタイミングを選んで一枚を一気に食べてしまうのがコツだ。出発して既に9時間、悪路ばかりを30キロ以上歩いた今こそ100%の効用が期待出来よう。ん? この後の行程で疲れたら?? その時はパンと肉とブルーべリースープが助けてくれるさ!
 それにしても、赤飯を持ってこなかったのが悔やまれる。これは耐久スポーツ食品の東の横綱である。力強さ、腹持ちの良さ、適度の水分、消化の良さ、手軽さ、どれ一つ取っても傑出し、西の横綱スパゲッティを遙かに凌ぐ。「穀食う者は生く」という諺があるが、それは野外活動で空腹になったときに特に噛み締める事が出来よう。2週間前のサイクリングでは本当に助けられた。行きに一個と帰りに一個、あの2個の赤飯が無ければ、あと数時間は余分に時間がかかっていたろう。或いは行きの途中で断念して引き返していたやも知れぬ。さほどの必需品なのに、今回に限って持って来ていない。ストックが3袋しか無かったからだ。昨日キルナを出た時にこれほどの大行程は予定してなかったし、第一、来週のスーパー競走に絶対必要とばかりに、大切に取って置く事にしていたのだ。でも、1袋ぐらいは持ってくるべきだったらしい。後悔先に立たず。それさえあれば、今日の行程はあと2時間は早く見込めた筈なのに。
 とは言え、代わりに中華風煮込み肉がある。堂々の東の正大関で、その力は距離が伸びれば伸びるほどに強い。というのも蛋白なしで活動出来る時間が限られているから。そして、その蛋白は最良の蛋白でなければならないから。白身魚のような軽さと赤身肉のような力強さ、それは肉の繊維一本一本から脂肪を分離してこそ得られる。脂肪と一体になった蛋白は消化が悪い。そこで煮込む。薪だって、燃やす前に割って皮を剥いで乾燥させるではないか。それと同じ原理だ。皮つき薪は煙ばかり出すが、「煮込み」薪は枯れ柴の如く良く燃える。
 肉の本場西洋ながら、煮込み肉に対抗出来るのは干し肉ぐらいだろう。ラップランドの特産、トナカイの干し肉は保存の強さが買われて多くの人が山歩きに持っていく西の正大関だ。数日以上持ち歩いて傷まない肉類はこればかりだろう。但し、短期決戦型(と云っても、1週間の代わりに1 ~ 2日がかりにすると云う意味だが)の私はあまり持ち歩かない。煮込み肉で十分だし、そのほうが消化が良い。力の沸く動物性蛋白といえば、別に肉に限る事はない。二週間前のサイクリングの至ってはスモークサーモンを持っていった。日本なら塩鮭であろうか。これら4大関は夏でも2日は十分に保つ。もちろん、ラップランドの気候での話だが。
 甘酸っぱい立場の関脇は梅干しと干しパイン。干し果物には他に干しリンゴ、干し杏、干し桃、干しブドウなどもあって、いずれも悪くはないが、干しパインとの実力の差は歴然として前頭の中位に雁首を並べる。理由は分からないが、ビタミンCでも効いているのだろう。それでだろうか、甘いだけが取り柄のアメ玉・氷砂糖は到底前頭から這い上がれない。かくも有効な干しパインだが、今回はは買う暇が無かった。一方、伝家の宝刀・梅干しの方はちゃんと持って来ている。これが効く。実に効く。友人たちから「ドーピング」とからかわれるだけの事はある。
 緑茶とブルーべリースープが小結。かつてスポーツドリンクなるものがデビューしたとき、ブルーべリースープあやうしとの声もあったが、結局伝統の強さに尾を巻いて、スポドは未だに前頭中位をうろついている。スキー・レースに参加したらこの差が分かるだろう。
 誰もが思いつくチョコレートとバナナは前頭筆頭に過ぎない。食べるタイミングが良ければ瞬間的に横綱よりも強いことがあるが、金星は一場所に一回だけ。そんな脆弱な存在だ。でも、前頭なしでは相撲は見る気がしない。ビスケットはチョコレートと同類だが、これは決して横綱にかなわないから前頭も下位に位置する。でも、それだけに手軽な存在で、半日程度の短い場所では敢闘賞を貰う事だってある。これら軟弱関取は、生野菜と同じく、なくて困りはしないものの、長丁場のあとに残っていると嬉しいものだ。関取には他にチューブ式チーズやレバーペーストもあり、便利な事この上ないが、その分力強さに欠ける。
 おっと、オートミル(の類)を忘れていた。山の朝食に不可欠な関取だ。スパゲッティーの次に高い地位を占めるから、張り出し横綱といったところだろうか。え? パンとご飯がない? これを持って行かない馬鹿はいないのだから書く必要もあるまい。閑話休題。
 関取の買い物をした安心で、フィルムを買い忘れる。忘れたまま東の大関と関脇、西の前頭筆頭を食べ、忘れたまま3時半にセルカ小屋を北に向けて出発する。気付いたときには既に百メートル歩いていた。百メートルなんて、今日の行程からしたら誤差みたいなものだが、耐久スポーツで大切なのは距離ではなく慣性と運動量である。しかも、たとい戻ったところで、果たしてフィルムが置いてあるかどうかも分からない。たかが百メートルでも、心理上最早フィルムの出る幕はない。完全に捨て置かれた。だから、今もって、セルカ小屋にフィルムが置いてあるかどうか知らない。
 荷物が少し増えている。買ったばかりの食料だけではない。精神的に重い荷物も加わっている。
「あなた、北に向かうの? それは良かったわ。ねえ、これをシェクシャ小屋に持って行ってくださらない?」
山小屋に住む人々の為の郵便だ。山郵便と云う。南の山小屋から逐次ハイカーによって運ばれる物で、今朝セルカまで届いたばかりらしい。それを次のシェクシャ小屋まで持っていって欲しいと頼まれたのだ。これを断る不人情はいない。アリスヤーレを目的地としている人間にとってシェクシャは少し遠回りになるが、山歩きで大切なのは距離ではなく意気と勢いなのだ。かまうものか。
 今までとは打って変わって、やたら人に会う。気晴らしに時計で計ると10分に1組。男女カップル、女だけのグループ。男女半々ぐらいのグループ、男単独または2 ~ 3人、それに犬あり犬なし、セルカ到着までの十倍以上!さすが「銀座」だけのことはある。女が結構多いところまで銀座だ。無いのは男だけのグループと女の単独、それに猫連れ。いや、それだって、銀座とどっこい。違いと言えば犬が認められていることぐらいか。・・・銀座にしては人が少ない?そんな事は相対の問題に過ぎまい。ここは日本ではないのだから。
 シェクシャまでの途中にKungsleden自然歩道で最大の峠がある。峠といってもU字谷のそれだから直前まで極めて緩やかな登りだ。終始酷しい日本の峠とは違う。ただし、川が次々に岐かれて、沢ごとに0℃の雪解け流と格闘しなければならないのが辛い。本道だからもちろん渡板ぐらいはあるが、雪解けの盛りとて半数は水没したり流されたりしている。かくて靴が次第に濡れてくる。普通の運動靴の限界だろう。その濡れ靴・濡れ靴下をもって残雪と岩と半湿原の上を交互に歩くと、不規則なリズムと不愉快な足下とで疲れが一層進む。疲れはかけ算で増大する。足し算ではない。それが山の疲れと云うもの。だからこそ人は雪山で遭難する。かくも危険な加算のせいか、視界が段々狭くなって、せっかくの景色を楽しむ事よりも先を急ぐ事に気を取られるようになる。それ程の疲れだ。無理もない。雪道・岩山・瓦礫・湿地を十時間以上も歩いているのだから。
 途中一回の休憩を取って、2時間後ようやく峠にたどり着いた。突然、眼前に真っ白い雪原が厚く広がる。これぞまさに「北斜面」。思わず滑り降りたくなる白さだが、期待の目で表面を見ると悲しい。明らかな軟雪の上に残る滑り跡はいずれも古い。こうも雪がべちゃべちゃしては、滑らかに滑る事は不可能だろう。のみならず、その下に隠れている川に落ち込むのが恐い。この谷の川は、午前中に駆け降りた小川とは比べものにならない大沢だ。しかも0℃の世界。落ち込んだら最後、無事と云う訳にはいくまい。危うきを知らずに近づくは無知、危うきを知ってやみくもに近づくは愚、危うきを知って細心に近づくは勇、危うきを知って考えてばかりいるは不断。危うきを知って無気力に避けるは陳腐。過去12時間の疲労はひたすら陳腐路線を求める。
 避難小屋の縁台に腰を下ろす。全てにおいて完璧な休憩所だ。腰が自然に下りてしまう。峠の景色は云うまでもない。気候も申し分ない。体は本格休養を欲している。雪上だけに蚊が比較的少ない。そして何よりも、足を伸ばすのに素敵な小屋がここにある。日程に余裕さえあれば泊まって行っても良い。ただ、悲しいかな、明日の汽車に間に合うべく、今日じゅうに十数キロ先のアリスヤーレまで行かねばならない。そのために、全くそれだけの理由のために、せっかくの別天地を捨てて単なる休憩を決め込む。時に午後6時。またも予定オーバーだ。ケブネカイゼ山頂で立てた超楽観予定によれば、既にアリスヤーレに着いている筈なのに・・・。
 泊まって行かないなら、せめて横になるべきだろう。だが、横になるだけの精神的余裕すらない。というのも、この分だとアリスヤーレの8時到着すら危ないかもしれぬと云う焦りが全身を支配しているから。否、9時にずれ込むのではないかと、本気で思い始めている。そんな、何か駆り立てられるような気分の時に安閑として休養してられるのは、悟り切った高僧ぐらいなものだろう。凡人は5分たりとも落ち着いていられない。
 蚊対策に合羽のズボンとジャケットを着込み、ぼんやりと景色を楽しみながら若干の腹ごしらえをする。延々と続く山路を眺めると、真っ白な下界から、単独ハイカーが脇目もふらずせっせと登って来ている。まるで我身を鏡で映したような姿だ。よし、彼が到着したら出発しよう。そう思っているうちに、あっと云う間に休み時間が終わって、同時に彼が到着した。息を切らせながら、開口一番
「すごい軟雪だ。最悪の雪だ。長靴でも駄目だ。覚悟しとけ!」

  6. 夏だから氷水、夏だからかき氷、
     ・・・美味しいかい? たまらんね、真冬よりも寒いや・・・

 ありふれた文章技術の一つに最大の難所から書き始める法がある。山登りに例えると岩場や渡渉にあたる。冬山ならさしずめ雪崩地帯横断であろうか。邪道と言う人もいる。実際そうかもしれない本記の場合だと「腰までどっぷりと氷水につかった瞬間、ああ、良かったと思った」と矛盾した表現で始まらねばならないからである。
 それにしても聞きしに勝る軟雪地帯だ。かのハイカーの「覚悟しとけ!」は誇張でも何でもなかった。
 20分のささやかな息抜きを終えていざ降り始めようと云う矢先に彼の警告を受け、その時考えるに、どうせ靴も靴下も濡れている。下は短パンで、その上に直接合羽だからたとい膝まで雪に埋もれてもこっちは困らない。しかも、さっきのセルカ小屋では誰も警告していなかったし、その後続々とハイカーたちがやってきている。誰でも簡単に越えられる難所なのだろう。そう軽く受けとめて雪の坂道を下り始めると、果たして5分もしない内に彼の言うところの軟雪地帯に出た。なるほど確かに難所ではある。もはや雪ではなく氷水で、それが脛まで浸る。まあ、こんなものだろうな、と合点して更にすすむが、−0℃の世界は何処までも続く。段々辟易しはじめていたところ、いきなりどっぷりと腰まで氷水につかった。
「冷たい!」
否、冷たいなんてものじゃない。足先、踵どころか、脛骨の芯まで氷を感ずる。
 セルカ小屋以来、会うハイカーの誰も警告してくれなかったから、してみると全く1 ~ 2時間前に発生したばかりの難所に違いない。今日の陽気に雪全体がじわじわと融け、ある時点で雪の効力が人間の体重を支えられなくなったらしい。融点カタストロフィーの最高の例だろう。熱力学的にはかくも熱い現象だが、足先は一向に温まらない。凍るような冷たさに、いかなる喜びも凍りついてしまう。あ ~ あ、これが7月12日なのか。
 不運な時の一対策として、より悪い想定を考える方法がある。まだしもマシだったと自らを慰める方便だ。もしも普通の装備だったら目も当てられないところだろう。雨合羽の下が直接短パンという身軽な格好だからこそ、服は無被害で済んでいる。靴と靴下はもとより濡れている。雪だろうが、氷水だろうが、腰まではまり込んでも実害は少ない。ああ良かった、と心の30%が思う。
 そこへ強力な助けがあらわれた。向こうから、知らぬが仏、南行きのハイカーが続々とやって来るではないか。どんな苦しみでも、自分だけではないと思うと微笑みたくなるものだ。しかも、連中は登りに加えて長靴程度の氷水しか考えていない装備だから、苦しみ驚き共にこっちの数倍になる事まちがいなし。思わず機嫌がよくなって
「気をつけろ、腰までの氷水だぞ」
と真顔で忠告してやる。これを偽善と非難してはいけない。偽善ではなく、身勝手な楽天主義なだけだ。身勝手な悲観主義は戦争を起こすが、身勝手な楽天主義は世の中を明るくする。だから単純2分割法によればこれは善である。偽善ではない。理由はともかく、気分が少し良くなる。ただし、それで足先の不快が改善されるわけではない。
 「病は気から」とか「心頭を滅却しれば火もまた涼し」とか云うのは前時代の遺物であって、現代流行の予防医学は精神主義の前に実務主義を要求する。これを足先の問題に適用すれば、すぐさま靴下を替えるのが正しい行為とされる。でも、この先、同じような軟雪地帯があるかも知れないし、靴下の替えもあまり持ってきていないから、とりあえず、シェクシャまでたどり着いてから考えることにした。5年前の記憶によるとシェクシャは近い筈だ。「今日出来ることを明日に延ばすなかれ」とは若者への戒めだが、36歳はもはや若者ではない。完全に無視する。実はこの判断の為に後でひどい目に会うのだが・・・。
 残雪とぬかるみと可憐な花の入り乱れたツンドラ高原を下りて行くと、やがて吊橋が見えてきた。シェクシャの小屋は川を渡った向こう側のさらに下流にある。一方、アリスヤーレに向かう本道はずっと川のこっちがわ。要するに、シェクシャに行くと往復1キロ損するわけだ。今朝の元気な時分は大したことなかったが、難コースを40キロ以上も歩いた現在の1キロは重い。それでも、吊橋からの川の景色は壮観で、厚さ4メートル以上の雪が激流の上にアメの如く覆い被さっている。その景色を楽しむという観点からだと、この1キロは単なる無駄足にはなるまい・・・。まあ、そうでも思わなくては、とてもやりきれないではないか。
 実際、その期待ははずれなかった。純粋に景色と云う観点から宿泊所を選ぶなら、Kungsleden自然歩道の数ある山小屋のうちでもシェクシャ小屋が最高だろう。標高もここが最高だそうだ。時計を見れば6時45分。時刻はよし、疲労度はよし、景色はよし、飯食うならここだ、泊まるならここだ、友達作るならここだ。明日の汽車?あしたはあしたの風が吹く。早起きすれば、ここから出発したってアビスコの汽車には間に合うだろう。
 そうは思ったものの、この分なら9時頃にはアリスヤーレに着く、という気持ちもある。ここから先の行程にどのような難所が控えていないとも限らない。「・・・明日に延ばすなかれ」と言うではないか。今日の遅行程を慮れば、あす早起きしたとて予定通りに汽車に間に合うとも限らない。不安は暴走を引き起こす。ただただ安心を得るためだけに、替えって効率の悪い道を選ぶのが人生だ。否、集団だってそうだ、国家だってそうだ。結局、郵便物だけを置いて、ここを離れることにした。残念無念。
 名実共に最高の小屋で郵便を渡そうとすると、またも女の人が出てきた。さっきのセルカも小屋番は年配の小母さん2人だった。ここは小母さん一人。スヱーデンならではであろう。
「このまま、今日はアリスヤーレまで行くけど、郵便があるなら持って行きますよ」
「いや、この山郵便はここで終わりだわ」
郵便から解放された安心で、他の用事を忘れてしまった。精神的に強烈な記憶は他の記憶を抹消させる。疲れていれば尚更のことだ。これを健忘症と云う。いま、他の事と言えば、云うまでもなく靴下を替えること。濡れ靴下のまま、再び橋を渡って、更に下流に向かう。

  7. 楽しみを分かつ者なく、足を止める時なし
     ・・・なぜそう急ぐのかと問われて答えるに、いつも一人だからさ・・・

 政治詐欺にかかるような小人がよく使う判断基準に、リスクの定率敷居法というのがある。リスクが一定パーセント、たとえば30%以上なら危険あり、30%以下なら危険無しと判断して、危険の大小に拘らず定率以下のリスクを全て無視する方法である。例えば、小雨だろうが大雨だろうが30%以上で傘を持つという判断の際に使われるが、日常にありふれた小さな危険(被害総額1万円程度)と、非日常的な大きな危険(被害総額1億円以上)を比べると、後者が簡単に無視されるので、政治家が大きな犯罪=失政を意図的にする原動力となっている。
 そして、その時も、リスクの定率敷居法を確かに行っている自分がいた。雪解け水の中は100%冷たいのであって、石のごろごろする川の中を裸足で歩けば転倒リスクは極めて高い。だからこそ、安全策を求めた挙げ句、滔々と流れる幅十数メートルの雪解け流を裸足で渡る代わりに、今にも崩れそうな雪の橋を渡り始めたのだ。
 そう、確かに安全策だと思ったのである。先程経験したばかりの冷たい水・・・わずか3メートルの渡渉だったがとにかく裸足で渡った・・・を再び、しかもはるかに長く経験するよりは、50メートル上流に見えている雪橋の方がマシに見えたのである。だが、行ってみて落胆した。ひねり飴の如き雪のアーチは残念ながら崩れかかって片足となっており、こともあろうに、崩れ落ちたその真下2メートルには急流が走っている。一応、義理か情けか細い丸木が渡してあるが、その一端はこっちの岸に届いているものの、向こう端は片足アーチの真中にも至らず、崩れた場所を穴埋めしているだけ。しかも斜めにかかっていて、立て架けていると言ったほうが正しいくらいだ。それほどに、雪アーチがこっち岸に比べて全然低く、人間の重みがすべて雪に向かう構造となっている。いつ雪が崩れて丸木が落ちないとも限らない。他に雪橋がないかと辺りを見回すが、川を覆う程の雪は全く見られない。シェクシャ峠では確かに完全な銀世界だったに・・・。標高差300メートルは馬鹿にならない。
 君子危うきに近づかず、とか言う。だが、これは古典の世界の話で、現代には通用しない。現代物理学によれば、統計的には君子的振舞をする粒子も、実際のクリティカルな行為に当たっては偶然に支配される。そして歴史学によれば、疲労は「偶然」の役割を決定的に増大させる。
 もしも、50メートル下流の河岸の行く前にこちらに来ていたら、余りに危険に見える丸木+雪「橋」に辟易して浅瀬を求め、先の河岸に着いた段階で、悟り・・・0℃の水を厭わない・・・の心境を得ていただろう。不幸にして、河岸へ先に着いてしまった。しかも、靴下を脱いで水に2、3歩踏みいれた挙げ句、もっとマシな渡り方を求めて岸に戻っている。だから、悟り・・・どう転んでも楽には渡れない・・・は、丸木を見るまで得られなかった。悟りは悟りでも、孔子の伝うる君子が危うきを避けるなら、老子の伝うる道者は策を捨てて自然の偶然に身を任せる。
 数分の迷い・・・君子たる事への未練・・・を経て、ついに丸木の上に四つん這いになった! 無謀!!
 目の下に全身凍傷の世界が見えている。乾燥しているから滑り落ちることはないが、手足を動かすごとにしなう木の響きは気持ち悪い。全身に鳥肌が立つ。悪夢がよぎる。否、考えまいぞ。
 長い長い10秒が過ぎた。
 やっと丸木を渡り終え、4つ足のまま雪の橋に取りかかる。亀裂が拡大する前に向こう岸にたどり着かねば・・・。あと5メートル。あと3メートル。あと2メートル。焦りと滑りのせいで中々進まない。
 着いた、と思った瞬間、汗がどっと噴き出した。
 興奮を静める為に、さっき見たばかりの地図を思い返す。アレスヤーレまでの残り8キロにこれ程大きな渡渉はもうない筈だ。川はあるが、そこには鉄橋がかかっている筈だから、とにかくこれで最大の渡渉地帯は切り抜けた事になる。とすれば、今こそ靴下を替えるべきだろう。そう思って、再び靴を脱いだ。多少ふやけている。生爪も出来かかっている。やばいなあ。しかも靴は濡れているから、靴下を替えたところで効果は少ない。あ ~ あ、もっと早く替えておくべきだった。まあ、遅くても、替えないよりはましと言う理由だけで、ふやけた足にごわごわの靴下をはく。
 白夜とは云え、南北のU字谷では西日は山に隠される。その陰を好むのは北極圏名産の蚊である。なぜ北極圏名産かというと蚊に必要なものは水溜りとトナカイの血であって、その両方がふんだんにあるのが湖とツンドラの土地だからだ。そして、その蚊を求めて渡り鳥がやってくる。すなわちトナカイの血が渡り鳥を養っている事になる。故に世の愛鳥家たちはトナカイに感謝しなければならない。更に言うなら、その感謝の一部を、我々山歩きの徒にも捧げて貰いたいものだ。というのも、蚊はトナカイと人間を区別しないし、鳥は蚊の貯える血がトナカイ製であるか人間製であるかを区別しないから。それほどに日陰における蚊の攻撃ははげしい。その攻撃が収まるのは日なただけ。かくて、陰で急ぎ光で息着く行程が続く。
 南北に太く伸びるこの谷は、シャクシャ小屋とアレスヤーレ小屋の中間で少しだけ曲がり、今までずっと見えてきたシェクシャ峠から完全におさらばだ。名残りを惜しんで10分の休憩を取る。午後8時17分。峠での予感によれば、運が良ければ8時、悪くとも9時には今日の宿泊に着いている筈だったが、まだ6kmも残している。ラストスパートで頑張ったとしても9時は無理だ。軟雪地帯や湿地で減速したり渡渉でいちいち靴を脱いだりして無駄が多かったのもあるが、ともかく予定というのは、一旦遅れだすと、最悪の予想すら結果的には楽天過ぎるという事になってしまう。仕事と同じ。例えば学会の発表だが、相当に余裕を持ったつもりでも、学会の直前は週末返上で準備しないと間に合わない。
 足先はますます気持ち悪い。靴をぬいで、足先を乾かせるだけ乾かせる。あまり効果があるとは思えないが、気休めぐらいにはなる。否、悪いことは考えまい。先を見なくては、先を。そう、今はゴールする事だけが頭を支配している。地図によると、この辺りで6km先のアリスヤーレ小屋が視界に入ってくる筈だ。まだ見えないが、そのうち見えるだろう。それが見えた時こそ、さっき寄ったシェクシャ小屋からの中間点を越えることになる。いや、今だって中間点の筈だ。つまり6キロ歩いている筈だ。その間、雪橋や渡渉の無駄にもかかわらず1時間20分で抜けてきた。ならば、予定がどんどん遅れているなどという Negative な発想は捨てて「残り1時間」という数字に希望を持つべきだろう。しかもその数字は、さっきまでの楽観的予定ではない。かなりの説得力をもった予想だ。普通の山路だって、普通に歩いて6kmが1時間じゃないか。いわんや、ここは平坦な下りだ。如何に疲れているとはいえ、時速5 ~ 6kmは出る筈だ。
 ここまで考えて、やっと到着時刻が計算出来る範囲までやってきた、と実感した。出発を8時25分として、急げば9時20分、たとい渡渉が1 ~ 2回あったところで、遅くとも9時40分には着くだろう。計算範囲という実感は何ものにもまして嬉しい。科学だってそうだ。選挙の票読みだってそうだ。・・・などと、計算ばかり考えているからいつまでたっても恋愛とは縁がないのかも知れないが。実際、人生は計算通りにはいかない。全くの平坦路だったのに、最後の最後、ラスト2kmでダウンしてすっかりペースが遅れてしまった。僅かの登りがきつい。結局到着は9時45分。予定より15分遅い事になる。いや、このさい時刻はどうでも良い。たどり着けばそれで充分だ。
 小屋には殆ど人がいない。まだ、シーズンの始まりらしい。支払いを済ませ、絵はがきを買って、更に僅かの泊まり客と軽い雑談をしながらアビスコからのバスと汽車の時刻を調べると、軽く1時間以上が経つ。今日の大行程の興奮を鎮めるには丁度良い『cool down』時間だ。そうして、11時過ぎにおもむろに寝室に向かう。シーズン直前なのか、或いは曜日の関係か、広い寝室は一人ぼっちだ。

  8. 夜は白く、闇はなし。黒いものはマメとツメのみ
     ・・・どうせ痛いなら、最短時間で駆け抜けろ・・・


1997.7.11~13
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